MADE IN JAPAN!by Y. Horiucci mail
過去日記INDEX 日付順:2005年 内容別:「日常・時事」 「読書」 「映画」 「旅行」 「寿司」


2005/10/02 「しみづ」

最初にビールを。お通しはナスのカラシ醤油。ツマミは、まずタイ。親方が先日訪問した淡路島から届いたのだと。実にネットリとした肉質で、脂と旨みが身の中に凝縮している。「これがいつも入ってくると凄いんですがね」と親方。シマアジは四国から。これも今までの物とは全然違うという。天然特有のやや赤みを帯びた身は、ツルンとした軽く上品な脂だが、肉質が稠密で癖の無い旨みが確かに深い。

タコは実に大きな北海産。桜煮は香りには欠けるが旨みあり。シャコも柔らかい漬け込み。スミイカゲソは軽く茹でて。アワビはそろそろ入荷が終りとか。旨みはまだ十分あるのだが入らないとなればしかたない。赤貝ヒモは香りが素晴らしい。戻りのカツオはカラシ醤油で。ウニはシマアジと同じ四国から。九州産と同様小さな箱に並べられているのだが、脂っぽくなく旨みと甘みが濃い。イクラもツマミで。サバは皮目を焼霜に。ミル貝は煮切りを塗ってつけ焼きに。塩辛は七味を軽く振って。酒のツマミが充実した、やや飲みすぎたか。

握り、マグロ最初の1貫は、血合い際、赤身に近い部分、細かく包丁が入るが香りと旨みが素晴らしい。2貫目は蛇腹に近い大トロ部分。コハダは新橋鶴八流の切りつけ。〆方はこちらのほうが強いのだが。「だんだん分厚くなってきました」と。これまたしみじみ美味いよなあ。アナゴ、カンピョウ巻もいつも通り。堪能して店を出る。


2005/10/02 「司法のしゃべりすぎ」と靖国参拝「違憲」判断

「司法のしゃべりすぎ」(井上薫/新潮新書)読了。日本の裁判における判決文には、その理由欄に主文とは関係のない「蛇足」とも言うべき裁判官の考察やら意見が書かれていることが多く、この意味の無い無駄による弊害を取り除かなければいけないという、現役裁判官による書。

例えばあなたが殺人容疑で取調べをうけるが刑事訴追までには至らず事件から20年を経過した。そんな時、被害者の相続人が殺人による損害賠償1億円を求めあなたを訴えた。民法上では、不法行為に対する損害賠償の除斥期間は20年。殺人を犯したのがあなたであれ誰であれ、当然この請求権は失効している。判決は、この損害賠償を退けるが、理由欄では延々と誰が犯人かの考察を続け、あなたが犯人であると認定していた。この事実認定は主文を導くには何の関係もない「蛇足」である。しかし、新聞は、「やはりあなたが犯人だった」と書き立てる。この判決に対して控訴しても、主文ではあなたが勝っているのだから、「控訴の利益がない」として棄却されるのであった。

これが本書冒頭にある設例であるが、このような判決は実はよく新聞の見出しでも見かける。「高裁、XXを違憲と判断。原告の請求は棄却」という奴である。そういえば、先日の大阪高裁、小泉首相靖国参拝判決でも同様の「蛇足」判断がなされている。

大阪高裁は、首相の参拝が首相の職務行為か、それが憲法の禁止する宗教的活動にあたるかを理由欄で検討して違憲であるとの判断を示したが、原告の本来の請求そのものについては、「一方で、原告の思想や信教の自由などを圧迫、干渉するような利益の侵害はない」として棄却している。果たしてこの主文を導くために、延々と首相の参拝の意味を検討し、「違憲」と判断する必要があったかどうか。

国は裁判そのものには勝っているから控訴できないし、主文とは関係のない「蛇足」はすでに新聞等でまるで「違憲判決」のように扱われている。原告側も1万円の損害賠償を真剣に求めたわけではなかろうから、裁判官の「書き逃げ」的な「蛇足」判断を引き出して、その目的は十分に果たしたということだろう。

もっとも個人的には首相の靖国参拝を積極的に支持する気は毛頭無い。機会があれば別途書くつもりではあるが、靖国は歴史的役割をすでに終えている。戦争で直系の親族を無くした遺族が参拝することに別段異議は唱えないが、A級戦犯合祀は愚な判断だったし、靖国という存在そのものは、できうればこのまま静かに眠らせるべきだ。しかし、訴訟を連発して裁判所の余計な判断を導き出しては、「正義が勝った勝った」と騒ぎ立てる「反靖国」市民団体にも無条件で賛同する訳にもゆかない。彼らの行っていることが正義だとも考えないというのが正直な感想。

この本では、「ロス疑惑」、「中国人強制連行」、「悪魔ちゃん命名事件」、「岩国靖国訴訟」などの判決を取り上げ、いかに本来の判決に必要ない余計な裁判官の判断が判決文に入っているかを丹念に説明し、このような「司法のしゃべりすぎ」が余計な審理の手間と裁判の長期化を招き、司法に対する信頼性を失わせ、ひいては国民にも国家にも裁判所自身にも大きなマイナスの影響を与えていると説く。説明が丹念すぎてくどく感じられる部分もあるが、なかなか面白かった。


2005/10/01 コンスタンティン


「日々の生活」tamamiさんからカウンタ画像が。949,494でした。なかなか壮観ですな。

DVDで「コンスタンティン」を見た。劇場で見た時にも感じたが、やはり再見すると、ところどころ映画のテンポが停滞して奇妙にダレるところがあるような。メイキングにある、使われなかったシーンはなかなか印象的。監視キャメラの映像を見るヒロインの肩に誰のものか分からない手がそっと置かれる心霊的なショットや、コケティッシュな悪魔の女性については、残しておいてもよかったのではという気がした。確かに完成版も情報量が多いのだが、ダレる部分を考えると、あちこちに十分入れる余地あったと思うのだが。

映画の最後、クレジットが終了した後にもう1場面ある。チャズの墓でのシーンだが、監督の説明によると、元来もうひとつ別のラストとして撮影したが、最終的には捨て去ったシーン。本筋とは関係なく、まったくのオマケとして挿入したのだとか。まあ、見ずに席を立った人も多いだろうが、実際のところ見なかったとしても全体としての映画の評価には影響しないだろう。後日談として一応繋がってる印象もあるのだが。

撮影の内幕を描いた部分も面白い。昔の撮影では、監督が事前に「絵コンテ」を書いたものらしいが、この映画では、CGでまず全編にわたって動画コンテを作り、それを参考に撮影を進めている。絵ではなく動画でスタッフ全員がこれから撮るショットの概念を共有できる。コンピュータの利用による映画撮影の進化も凄いもんである。


2005/09/29 「與兵衛」パリで国際出張握り / 「しみづ」


先週の書き忘れ、寿司屋訪問2軒。

土曜の夜は「しみづ」。1順目は立て込んでおり2順目のスタート。カウンタは満席、2階の座敷にもお客が入り、実に忙しそうだ。

先週の特別営業のことなど親方と雑談しつつ。お通しは、茄子の煮びたしを山葵醤油。お酒は常温でツマミを。ヒラメ。昆布〆はかるく酢橘を利かせて。スミイカゲソは軽く茹でる。アワビ塩蒸しは旨みあり。カツオも脂が乗っている。芥子醤油で。赤貝ヒモは鮮烈な香りが素晴らしい。サバは皮目を軽く焼霜に。シマアジ、小柱。九州のウニはそろそろシーズン終わりですと。生イクラ。塩辛をほんのちょっと。

握りに移行。マグロは筋間の身だろうか。均一に脂が入りシットリして旨みあり。コハダは1匹丸付けだが身も厚くなってきて、ここのシッカリした〆と酢飯によく合う。アナゴ、カンピョウ巻も相変わらず結構。

「與兵衛」

日曜夜は「與兵衛」。最近いつも予約が立て込んでいる。だいぶ先まで空いてないかなと半分諦めながら土曜夕方に電話。親方が出て、なんのことはない、「明日なら1席空いてますよ」と。しかし、珍しいな。

「思いついた時にフラっと立ち寄るのが寿司屋」というのは、昔の習慣に照らせば真実でもあろうが、私自身はそれほど形にこだわる観念は持っていない。入れないなら予約するまで。しかし、いつ電話しても恒常的に1ヶ月〜1ヶ月半先しか予約が入らないとなると、訪問する気がガタっと萎えて、いつしか足が遠のくのはこれまた事実なんだなあ。

日曜6時半に入店。お客はまだ他に1組だけ。親方から、11月にフランス、パリまで握りに行くとの話を聞く。お弟子さんを1名連れ、調理器具、調味料、米から寿司種の魚まですべて日本から担いで行くのだとか。いわゆる「国際出張握り」である。

「與兵衛」では、「はせがわ酒店」が厳選した素晴らしい酒を置いているのだが、この「はせがわ酒店」推奨の「醸し人 九平次」がこのたび、パリの名門ホテル、クリヨンに置かれることになりフェアをやる。その中のパーティーに「與兵衛」が出張し、クリヨンで30名に寿司を握るのだとか。パリのクリヨンというのは、コンコルド広場横にあり、前を通ったことが一度だけあるが、歴史を感じる建築の豪華なホテル。

「與兵衛」では、朝買ってきてそのまま切って握る寿司種がまず無い。すべて、熟成させる、煮る、〆る、漬け込むなどの仕事を施すので、日本からすべて材料を持参しても丁度よいくらいか。通関に関しても、一般的には海産物は規制対象ではないから大丈夫。万一の時の対策も考えているとのこと。話聞くとなかなか面白いねえ。

お酒はまず、当の話題の「醸し人 九平次別誂え」。軽い飲み口で爽やかな旨み。バランスの取れた品位ある酒。

まずいつものお通しの一皿。海老頭、ホタテ煮びたし、アワビ塩蒸し、アワビ肝、スミイカゲソは煮てツメで。次に出た魚のアラ煮は、濃厚な出汁にニンニクの幽かな風味がアクセントになっている。ツマミ第2の皿は、中トロヅケ炙り、ヒラメゴマ醤油ヅケ、ヒラメエンガワ甘酢ヅケ、〆てから皮目を炙ったイワシ。どれも素晴らしい。お酒は、「美丈夫」、「十四代本丸」と切替。

パリに持参する予定の寿司種のことなど親方に聞く。光り物4種を含む10種類だとか。フランスでも寿司ブームなのだそうだが、生の魚を切っただけより、煮たり〆たりした寿司種ばかりのこの店の寿司のほうがフランス人には受けるのではないだろうか。顛末がTVの取材でドキュメンタリーにまとまったりすると面白いのだが。

このへんでお茶に切り替えて握りを。赤身ヅケ、ヒラメ胡麻醤油ヅケ、甘酢ヅケ、イカ、車海老は甘酢に潜らせて。シマアジは炙った皮目が香ばしい。北寄貝も甘酢ヅケ。ここから光物に移行。キス、コハダ、サンマ、イワシ。〆加減も種の脂もそれぞれに違ってどれも美味い。漬け込みのハマグリは柔らかく、濃厚なコクのあるここのツメによく合う。肉厚のアナゴは色こそ沢煮のように白いが、ネットリと脂が乗る美味さは他に類を見ない。最後にシットリした玉子。どの握りも、いつもと変わらず美味い。おそらくパリでも同様に美味いだろう。


2005/09/30 スペースシャトル計画は失敗だった / 阪神優勝

NASAの長官が、スペースシャトル計画は失敗であったと認めたという記事がYahoo!に。

NASA Chief Michael Griffin has told the editorial board at USA Today that the space shuttle, the international space station and nearly the entire U.S. manned space program for the past three decades were mistakes.

Griffin said NASA lost its way in the 1970s when it ended the Apollo program.

The space shuttle program has cost the lives of 14 astronauts and about $150 billon, Griffin said. Griffin also said it is now commonly accepted that the space shuttle was not on the right path and NASA is now trying to change the path while doing as little damage as they can.

以前、「スペースシャトルの落日」で読んだとおりで、いまさらという気もするが、人類に新しい知見をもたらす宇宙開発そのものには、個人的にまだまだ希望を持っている。火星の有人探索なんてやらないかねえ。



昨日の夜、阪神優勝。優勝インタビューで岡田監督を久しぶりに見た。なんだかずいぶん年取ったのでは。アンソニー・ホプキンスに藤山寛美を足して2で割ったような印象。エライもん足したな。はは。

前回の阪神優勝時は、確か死者が出たんではなかったか、と過去日記を検索すると、2003年の9月、「道頓堀川で水死」と記録してあった。今回は、警官も大量に投入したようだが、大阪の群集は「オモロかったら何でもあり」。権威を嫌い、秩序より無秩序を喜ぶ習性があるから、警備する大阪府警も実に難儀なことである。まあ、今回は死者が出なくてよかった。日本一になったらまた大騒ぎだろうなあ。


2005/09/29 疲れが蓄積 / 田尾監督解任

3日連続で飲み会があるとさすがに疲れが蓄積。しかし、明日も飲み会なのだ。今月一杯はクールビズ、ノーネクタイ出勤予定だが、吹き来るのはもう秋の風。帰宅する夜道には虫の声。いつのまにか、夏はすっかり過ぎ去ってしまった。考えてみるとまだ夏休みを取ってなかったな。秋に休むか、冬にするか。

午前中は韓国から出張してきた会計士と打ち合わせ。昨日深夜到着して、午前中の打ち合わせが終わったら3時の飛行機でソウルに帰るのだと。電話で会話するとやっかいなのだが、対面して話すると向こうの日本語も流暢に聞こえて会話はスムース。「対人コミュニケーションの中で言語の内容が占めるのは3割で、あとの7割は表情やら動作で伝わっているのだ」、というのは研修などでよく聞く有名な話であるが、実は裏づけになる根拠がない都市伝説であると読んだことがある。しかし、特に外国人と会話する場合、電話より対面で会ったほうがずっとコミュニケーションが取りやすいのは体感できる事実なんだよなあ。



今週号の週刊新潮には、田尾監督解任はやはりオーナーの意向が反映されているとの記事。他球団をお払い箱になった選手ばかり集めたようなオンボロチームを率いて、たった1年では結果出しようもなかろうに、なんとも気の毒な話ではある。NFLのチームが増える時などには、エクスパンション・ドラフトとか称して、他の全チームから何名かずつ有無を言わさず連れてくることができる。(もっとも抜かれると大変なことになる有力選手何名かは事前に登録して対象外になったはずだが)100敗こそしなかったものの、勝率2割代ではやはりリーグのお荷物。もっと各チームの戦力を均衡化する制度が必要という気がするのだが。



2005/09/26 外国人が自国語で話してるのに付き合う

仕事で韓国の事務所とカンファレンス・コールなど。こちらはもちろん韓国語はまったく話せないので、日本語のできる韓国人が相手。丁寧な語り口なのではあるが、何を聞きたいのかよく分からない部分多く、なんだかイライラ。こちら側の日本語もどこまで加減すれば韓国人に理解できるのか分からないから、自国語で話しながらもフラストレーションがたまるジレンマ。アメリカ人と英語でしゃべるほうがずっと楽だ。

しかし、アメリカの現地法人で日本人を相手にするアメリカ人は、ちょうど今の私と同じように感じていたかもしれない。日本人側は外国語で話すのに一心不乱であんまり向こうを慮る余裕もないが、外国人が自国語で話してるのに付き合うというのは、なかなか根気のいる作業なのだ。逆に、日本人慣れしてるアメリカ人は、実に平易な言葉を使ってしゃべるから、まるでこちらの英語の実力が向上したかのような錯覚を覚えるほど。あれはあれでエライもんである。

今回の私の場合は、こちらがクライアントで韓国の法律事務所である向こうを雇ってる立場であるからまだマシだが、例えば韓国財閥の日本法人で、韓国から来たエライさんの下で働く日本人ってのも当然日本には存在する訳である。大事なことは韓国人同士でなにやら分からぬハングルで話して決めている。こちらに命令するときには横柄でヘタクソな日本語。こちらが一所懸命日本語で説明しても、どこまで分かっているのかおぼつかない。こんなところで働くのは辛いよなあ。そういう面では、アメリカの日系企業で働いてるアメリカ人も、オフィスでは実に我慢強くやってるのだなと、なんだか複雑な心境であった。


2005/09/25 朝青龍6連覇

朝青龍が14回目の優勝。大鵬に続いて史上2人目の6連覇で。今場所は琴欧州が独走し、それを朝青龍が追うという最近では珍しい展開。久々に最後が盛り上がった。中日くらいまでは当日券も余ってたようだったが。

夕方の土俵入りからTVで観戦。朝青龍の土俵入りを真剣に見たのは初めてだが、所作に独特の間合いとオリジナリティ溢れる力強さがあり見ごたえがある。金剛力士像のような体型は、外国人力士とはいうものの、仏像をも連想させるアジア・オリエント独特のものという気がする。ハワイ勢とはやはりちょっと違う。

一昨日の琴欧州との直接対決では、振り回して土俵に落としてから更にダメ押しで背中を押し、「どうだ見たか」と得意満面の笑み。気の強い悪ガキがそのまま横綱になったような愛嬌が面白い。最近、CMやらTVのバラエティ出演で人気も上昇中では。高知の高校に相撲留学していた時代、学校近くにあった駄菓子屋のオバちゃんに可愛がられ、横綱になった今でも時折「オバちゃん、オバちゃん」と訪ねてくるのだと以前、何かのTV番組で見た。表彰式では、次第に感動が押し寄せたのか涙ぐむ直情径行も面白い。日本人力士の不甲斐なさは情けないが、是非とも7連覇してもらいたいもんである。

琴欧州は大型で腕力も十分。2場所連続で優勝にからむほど相撲が強くなったし、これからも強くなるだろうが、ここ3日の相撲見ると、緊張で固くなりバタバタ下がって墓穴を掘った。現時点ではやはりまだまだ経験不足でハートが弱い。しかし、相撲ってのも強くなる時にはあっという間に番付駆け上がって行くものだから、大関も射程距離だろう。そのうち外国人横綱2名時代もやってくるか。最近の日本では、相撲を目指すハングリーな若者があんまりいないのかね。


2005/09/25 シャーリーズ・セロンの「モンスター」

先週末に購入したDVD、「モンスター」を見た。モデル出身、美貌のシャーリーズ・セロンが汚れ役に挑んだことで話題となり、アカデミー主演女優賞を獲得した映画。

1980年代のフロリダ。13歳で父親の友人にレイプされ、貧困と虐待にまみれて育った主人公は、路傍で客を拾い売春を繰り返すことしか生計の道がなかった。彼女は生活に疲れきって入ったバーで、同じく人生に疎外感を抱く同性愛の少女と運命的な出会いをし、この少女を愛する。そして、預けられていた家を出たこの少女との逃避行。車、住む場所、そして新天地へ移住する資金を得るため、アイリーンはまたストリートでの売春に戻り、ついには金を求めて客を次々に射殺し始める。映画冒頭に「実話に基づく」とキャプションが出るが、これは実際にアメリカ初の「女性連続殺人鬼」と呼ばれたアイリーン・ウォーノスの生涯を描いた映画なのだ。内容は実に重たく暗い。

監督は女性のパティ・ジェンキンス。実際に刑務所で死刑執行前のアイリーン・ウォーノスに何度も面会し、彼女の書いた手紙も読ませてもらったらしい。低予算、28日で製作された映画だが、主演のセロン自身もプロデューサーの一人として名前を連ねるほどこの映画に入れ込んでいる。

セロンはこの役を演じるために13キロ体重を増やしたそうだが、メイクアップも、まさに特殊効果と読んでもよいレベル。不ぞろいの前歯はマウスピースだし、肌も汚くメイクアップ。眉もおそらくオリジナルではない。こうまで容貌が変わるとまるで「エレファントマン」のような。しかし、演技も素晴らしい。荒涼とした悲惨な運命を生きた異形の女性を、実に印象的に演じている。

"People always look down their noses at hookers. Never give you a chance, because they think you took the easy way out, when no one could imagine the willpower it took to do what we do. Walking the streets, night after night, taking the hits and still getting back up."

みんな売春婦を鼻で見下すんだ。一番安易な道を選んだ奴として無視するだけ。でも、誰ひとり想像できないだろうけど、売春で生きるには意志の力がいる。毎晩毎晩通りを歩き、ひどい目にあっても、また立ち上がって歩き出すってことには。(IMDb)
主人公の独白は実に悲痛で胸を打つ。理解できるなどと綺麗ごとを言うつもりはない。自由とチャンスの国アメリカの、輝く成功の光の影に横たわる闇は、理解不可能なほど実に深く暗い。拳銃をバッグに入れ、フリーウェイの路傍でヒッチハイクを装って車を止め売春を持ちかけてくる女。留学、駐在でアメリカに住んだとしても、こんなアメリカの暗部に触れたことがある日本人はどれだけいるだろう。

友人の13歳の娘をレイプし続ける男。行為の時に「ダディ」と呼んでくれと頼む客。縛り上げて暴力をふるう変態。主人公は、「モンスター」と呼ばれたが、この映画が我々につきつけるのは、おそらく「Who's the real Monster?」という問いだ。

クリスティーナ・リッチは、主人公を堕落させる小悪魔、レズビアンの少女セルビー役。これまた凄まじい役だが、実に魅力的に成立しているのはリッチの演技力が素晴らしいから。最後に主人公を裏切るセルビーと、しかしこれを受け止め、許すアイリーン。彼女が凄惨な人生でたったひとつ見つけ、そしてそれを維持するために凄まじい代償を払い、そしてあっけなく失った愛。アメリカのやり切れない暗部を描きながら、一種の切ない悲恋ストーリーとしても成立しているところが映画として優れている。

映画冒頭、主人公の少女時代をふりかえるフラッシュバックも実に印象的。音楽もまたよい。ジャーニーのスティーブ・ペリーがアドバイザーなのだそうだが、実際の事件が起こった80年代の雰囲気をよく伝えているのだ。

オーディオ・コメンタリー版では、シャーリーズ・セロンが監督と共にこの役への思い入れを随所で語り、単なるバービー人形ではないことをはっきり示している。セロンは16歳の若さでパリでモデルとしてデビュー。美貌が評判になりアメリカで女優として大成功した。この役への執着が、きらびやかなスポットライトを浴びるステージも路傍の娼婦も、本人の持つ何物かを切り売りする商売としては同じ側にあるという冷徹な洞察が本人にあったのだとしたら、これまた考えさせられるような深い話ではあるのだが。

ネットで調べると、実際のアイリーンを取材したドキュメンタリー、「アイリーン 「モンスター」と呼ばれた女」も発売されている。さっそくAmazonで注文。



2005/09/24 間違い電話あれこれ。

昨日、携帯電話のメッセージに聞き覚えのないバアさまの声で、「あの〜、明日、お寺さんに連れてってくれんね」と入っていた。着信番号にも覚え無し。わざわざこちらから電話して間違いだと教えてあげるのも面倒なので放置したが、本日、お寺さんにはちゃんと連れてってもらったろうか。昔、台東区に住んでた時、固定電話のほうの留守電に、業務用と思しい量の酒の注文があれこれ入っていたこともある。あれも翌日どうなったかね。

余談だが、携帯なら普通に着信したら相手の番号分かるのに、固定電話のほうは今でも別途契約しないと普通のサービスにはないのでは。技術的には余分な金取るような特別なことではないはずなのだが、不思議な話である。昔のNTTは、パルス回線からプッシュホン回線にすると余分な金を取ったが、本来世界同一基準のプッシュホン対応局内交換機を、わざわざアナログ回線対応に改造させてから納入させて余分な金を払い、辻褄合わせてた(実は全然合ってないのだが)という話を昔読んだ。ま、元来お役人出身が多いから、クズなムダ使いもダメなお役人風である。

間違い電話と言えば、今週行った新橋鶴八でも、電話取った親方が「あのね、うちは『マザー・テレサ』やってないんですよ。寿司屋なんですよ」と電話を切っていたのを思い出した。ネットで調べてみると、確かに、日比谷シャンテ・シネと下の4桁がひとつ違うだけ。結構、映画の開演時間問い合わせの間違い電話が多いらしい。まあ、間違えたほうもびっくりするだろう。

そういえば、私自身でも、プライベートで海外に電話かける際(多分こちらが番号間違えたんだろうが)なんだか知らない外国人が出て、あなたは誰ですかと、延々と余計な話をしたことがあった。ま、英語だとなかなか訳分からんところがあるというものの、向こうにしても国際間違い電話は迷惑だっただろう。はは。


2005/09/24 K-1 / 「アースダイバー」と「縄文地図」

昨日夜はK-1などTVで。サップv.s.ホンマンの大型対決は見世物としては面白いが、スタミナのないご両人は睨み合って休憩し過ぎで、やはり凡戦というか。もともとそうだったと思うのだが、最近特に顕著になってきたのが、ボブ・サップはハートが弱く、スタミナ無く、テクニックも無いという事実。まとめると、いわゆる「張り子の虎」ということなんだが、このままでは商品価値が下がる一方。K-1より総合格闘技のほうがボロでないと思うのだが、ビジネスの方針を再検討するべきであると思うのであった。ホンマンもデカイだけで、あまり攻撃力がない。ロー・キックが得意な素早い相手には、翻弄されてかなり苦戦するだろうという弱点が見えてしまった。



だいぶ前に読了した、「アースダイバー」(中沢新一/講談社)だが、感想を書き忘れていた。最近、平積みで置いてある書店も多い。5月の初版からジワジワと部数を伸ばしているようだ。

「アースダイバー」とはアメリカ先住民の神話なのだそうで、原初の世界、カイツブリが海の底まで潜って取ってきた一掴みの泥が我々の住む陸地の始まりなのだというものらしい。著者、中沢は、今よりも海岸線が陸地深く入っていた縄文海進期の沖積層と、その当時でも陸地だったはずの洪積層を知人の地質学者が塗り分けた手製の「縄文地図」を手に東京を歩く。

この「縄文地図」に、神社・仏閣をプロットすると、その場所が縄文期の陸地の端、あるいは岬に集中していると中沢は言う。これは明らかに縄文海進期の遺跡、スピリチュアルな場所が後に伝えられ、現在の東京の基礎になっているのだと。その仮説のもとに、東京を巡り、「縄文地図」から土地そのものが持つ力をサイコメトリーのように読み取り、そこに秘められたまるで自縛霊のような霊的力を読み取ってゆく紀行。風水で言う「龍脈」やら、イギリスの「レイ・ライン」なども想起される独特の中沢ワールド。

全般的に見て根拠薄弱な主張も多く、悪く言えば著者個人の思いつきに過ぎないのだが、よく言えば著者の神秘的イマジネーションが炸裂する世界。写真も満載。もともとが週刊誌での連載だったということで、分かりやすく、とっつきやすく、コマーシャリズムや世渡りの上手さを感じるのも面白いところ。書いてあることが本当に正しいかと問われるなら、もちろん疑問符がつく。しかし、エンターテインメントとして実に面白いところに価値がある。巻末折込の「アースダイビング・マップ」など見ると、城東・下町エリアなどは縄文の昔はほとんど全て海の底だった訳で、なんとも不思議な感慨。

そうそう、著者の往年の有名作に「虹の階梯」がある。チベット密教寺院に本人が住み込んで修行した体験を描いたドキュメント(?)で、あのオウムの麻原ショーコーもネタ本にしていたと何かで読んだ。確かに面白い本なのではあるが、果たして日本人がチベットに行って、外国語など話せるはずもないチベット密教寺院の高僧の話をあそこまで理解できるものなのか。冷静に考えると、あの本もアカデミックというより詩的な雰囲気を感じる著作。やはりずいぶんと本人の自由なイマジネーションの飛翔が含まれているのではと、今更ながら疑問など沸いてきたりするのであった。


2005/09/23 「おいしいもの、まずいもの、どうでもいいもの」〜イクラ丼2杯で7万円

「おいしいもの、まずいもの、どうでもいいもの」(佐川芳枝/幻冬舎)読了。 「寿司屋のかみさんが教える」と副題がついているが、著者は東中野、「名登利寿司」のおかみさんで、寿司屋の内実やお客模様などを描いたエッセイ「寿司屋のかみさん」シリーズが何冊も出ている有名人。

寿司種の話があれこれ書いてあるが、気楽な読み物で面白い。寿司マニアには物足りないかもしれないのだが。もっとも、今回の題名の「どうでもいいもの」はちょっと余計。「どうでもいいもの」については、それこそ書く価値も無い訳で、この本にも実際そのことはほとんど書いていないのだから。

同じ著者の他のエッセイ読んでも分かるが、「名登利寿司」は真っ当な仕事をするごく普通の町場の寿司屋。「本マグロは高くて置けない」と正直に書いてある。最高級の種を置いてある訳ではないのだが、〆たり煮たりの仕事は手を抜かず真面目にきっちりやっていることがよく分かる。ネットのシロウトグルメ評価サイトなどでは「期待して行ったのに普通でした」などとお門違いの批評が出てくるが、そもそも過大に期待するほうが本を読み間違えているという気がする。しかし、近くにこういう寿司屋があると便利だろうなあ。

このエッセイに出てくる、銀座の寿司屋でイクラ丼2杯で7万円の話が面白かった。名登利寿司の常連が知り合いに連れられてかなり遅い時間に銀座の寿司屋に行った。「もう看板です」と渋る親父に、そこの常連だという知り合いは「イクラ丼だけ食べさせてよ」と粘り、根負けした親父はイクラの小丼を2つ出す。ささっと食べて勘定頼んだら「7万円です」。この知り合いは黙って払ったという。

まあ、寿司屋で常連面して我が物顔に振舞うと、とんでもない逆襲に会うという教訓ですな。客なんだから、萎縮したり必要以上に親父のご機嫌を取る必要などない。しかし、客だから何してもよいという訳ではないのである。「なんだ安いな」と払って、それからも連日通ったら、向こうの親父も「おそれいりました」となるだろうが、そもそもこの勘定は、「もう金輪際来るなよ」というサインなのだろう。なかなか恐ろしい寿司屋もあるもんだ。もっとも、かなり名の通っていた銀座のこの店は、もう閉店したのだとか。いったい、どこだったんだろうなあ。


2005/09/23 故障機ロス空港に緊急着陸 

アメリカ航空会社ジェットブルーのエアバス前輪が故障して、ロサンジェルス空港に緊急着陸。故障が伝えられてから燃料消費のために3時間滞空していたから、報道陣が到着する時間的余裕があり、その着陸がTV生中継で全米に報道されたというのも実に珍しい話。まるで、スペースシャトル、ディスカバリー号が帰還した時のようだ。映像見ると、主脚が接地してから前輪着地までかなり姿勢を保って速度を落としており、見事な着陸。安売り航空会社らしいが、パイロットの技量はなかなか確かだったようだ。

もっともアメリカ国内線のパイロットにも色々いて、駐在時代に乗った、とあるダラス-シカゴ間アメリカン航空の着陸はひどかった。着地した時に、背骨傷めるかと思うくらいドカンとショックがあり、機内が騒然となったのを覚えている。あんな着陸にはその後もお目にかかったことはない。アメリカ国内便では着陸後にすぐ操縦席のドアが開き、パイロットが顔出したりするのだが、あの時は乗客が出るまでまだ扉が閉まってたな。副操縦士がヘマな着陸して説教でもくらってたのではないだろうか。はは。



昨日の夜は、早めに会社を出て、「新橋鶴八」に。親方に、「日焼けしましたねえ。なんだか、ちょっと痩せたんじゃないスか?」と聞かれて、そういえば、前の訪問からずいぶん間が空いたなあと思い出した。前回と比べると、2〜3キロ落ちてるだろうか。「私も減らそうと思うんだけど、なかなかねえ」と親方が笑う。

白身はヒラメに変わっている。もっともヒラメ1本になったのはつい最近で、カレイもよい物あれば入れていたとのこと。マグロも大間で獲れてるし、コハダも大きくなってきましたと親方談。厚みも脂もある寒い時期のコハダをネットリした具合に〆るここのコハダは実に美味い。ここの親父はコハダの話をすると実に嬉しそうな顔。サバも脂が乗ってきた。10月以降には、日本海側でブリが獲れるので使うとか。秋から冬にかけて、これから魚の旬だなあ。

お酒は冷酒。お通しはスミイカゲソ。まずツマミ。ヒラメはネットリして濃厚な旨み。アワビ塩蒸しは煮上がったばかりで、まだ湯気が立つほど暖かい。ここの塩蒸しも独特で実に結構。サバも脂が乗る。シマアジ、ハマグリともらってツマミ終了。握りのほうはいつも通り。まず中トロ。かなり脂のある部位。コハダは1匹丸付けのサイズだがだんだん肉厚になりネットリ感ある旨みが出てきた。アナゴも結構。最後はカンピョウ巻。酢飯が絶妙の握り具合でホロリと崩れる。どれも結構。1時間ちょっとで切り上げて、タクシー帰宅。


2005/09/20 ダイエー創業者死去。

ダイエー創業者、中内氏が死去。戦後、安売り商店から商売を始め、巨大スーパーという業態を日本で一大産業に立ち上げたカリスマ。土地の含みで借入れし、店舗を次々増やして売上を拡大するという手法は、やはり高度成長とバブルの産物。「売上が全てを癒す」そう言える時代はすでに過ぎ去ったのだ。もっともバブルというのは、過ぎ去った後でないとバブルと分からない。ダイエーの全盛期はどの金融機関も先を争って、うちから借りてくれとダイエーに日参していたのだから。

カリスマの最晩年は、落城寸前、燃え盛る天守閣で疑心暗鬼に陥り、城を守ろうとする忠臣にまで後ろから切りつけるような乱心ぶり。外から見ても痛々しかった。立志伝中の人物ではあったがなあ。うちの親父など、大学の先輩でもあり、たった一人で作り上げた大企業群を見て、偉いもんだと常々語っていたのであったが。神戸育ちにはダイエーというのは実に懐かしいブランドでもある。戦争で地獄を見て帰還し、焦土から出発して、飽くなき成功を貪欲に求め続けた彼は、ある意味、日本の高度成長と共に歩んだ「餓鬼」であった。冥土には、土地本位制も借入金も、金融機関の貸し剥がしもなかろうから、安らかに眠れるのでは。合掌。



本日は上司と共に接待で会食。ウニは炊いた茄子と合わせる。イクラは生の醤油漬け。戻りカツオはニンニク醤油で。すっぽん鍋。鰆照り焼き、松茸と銀杏など。着物の女性がずっと横に控えている個室で芋焼酎ロックを飲みつつ、出てくる料理を次々と。最後はすっぽんの雑炊。お客さんをタクシーに乗せて、車で帰る上司を見送って接待終了。昔ならこれから必ず飲み直しに行ったが、さすがにそんな元気なし。今週は3日しか出勤日が無いのだが、明日も明後日も仕事で飲む予定が入っている。なんだかこれもまたウンザリという気がするんだなあ。


2005/09/19 「BEYOND」と中秋の名月 

昨日の午前はゴルフの練習。フィニッシュで左肩を今までより更に回転させ、大きなスイング弧を得ようとドリルを繰り返すうち、大ダフリ。首筋に違和感を覚えたが、たいしたことなかろうとそのまま練習続行。夜に「しみづ」で飲んでた時も膝のほうが痛いくらいだったのだが、今朝、目覚めてみると首を動かすと痛みあり。やはり筋を違えたか。本日はのんびり読書三昧。

活字に飽きると、リビングにこのところずっと置いてある写真集、「BEYOND」(マイケル・ベンソン/新潮社)をパラパラと。Amazonのよいところは、このような大判で重たい本がクリックひとつで自分の部屋まで届くところだ。本屋で買って持ち帰るのは大仕事である。

これは、惑星探索機で撮影された太陽系の惑星、衛星の写真集だが、まさに息を呑むような美しいショットの数々。もっともキャプションを読むに、X線撮影だったり赤外線写真だったりするものもあり、編集もされているから、単純に人間の目に映る風景とはまた違うかもしれないのだが。

水星や金星の惑星表面がこれほど高精度な写真に撮られているとは知らなかった。火星以遠の惑星については、近年の報道でよく目にしたことがあるのだが。しかし、我々の住む太陽系ですら、ご近所の惑星に生命の兆候はまったくない。火星に着陸した惑星探索車からの映像は、確かに息を呑む素晴らしさなのであるが、生命の兆候を感じさせない寂寞をも痛切に感じる。

以前読んだ、「広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス」では、著者が最後に悲観的な推測をしている。Are We Really All Alone? ウェルズの描いた「タコ」でもよい。どこかにいれば、この寂寞感も少しは癒されるのだが。昨夜は中秋の名月。実に綺麗な月だった。


2005/09/18 「神々の流竄」/ 「しみづ」

昨日の、「隠された十字架〜法隆寺論」に続いて、「神々の流竄」(梅原猛/新潮社)も読了。最初に読んだのは何時だったかもう忘れたくらい昔だが、再読してもやはり印象深い。出雲大社が大和王朝から追放された怨霊たる「大国主」を封じ込めた装置であったという仮説を再読して、そうだ、日本古代史解釈に対する私個人の印象は、ずいぶん昔から「梅原日本学」に影響されてたのだなあと再認識。

出雲も、一度は訪れてみたい場所である。



本日夜は、「しみづ」。清水親方は淡路島に鯛を見に行ってるとかで、事前に声をかけたお客だけを予約で受けてお弟子さんのダイスケ君が握る特別営業。もう何度目だろうか。地位が人を作るとはいうが、中心に立つとなかなか堂に入ったものである。

「新橋鶴八」でも、「定休前の土曜日、夜遅く気心の知れた常連だけになると、弟子に後はまかせて私は早めに帰ることもあるんですよ」、と石丸親方に聞いたことがある。江戸前の優れた寿司職人が育ってくれるのは客としても歓迎するべきことであるからして、弟子を育成するこういった営業もよい事。同じ寿司種、同じ仕込の仕事で、値段は一律ディスカウントだから、客だって損する訳でもない。

勿論、親方に握ってもらわないと損したというウルサイ客もいるから、最初から納得ずくで来る常連だけに声をかけて客を限定しているのであった。ネットのグルメ評価サイトの寿司屋評など見ると、「2番手が握ったのでダメでした」、などと軽々しく断言してのもよく見かける。しかし、誰が握ったか、ブラインド・テストして本当に分かるかな。

そうそう、余談ながら、あと、「捨てシャリをするので評価できない」などと断定してるのもよく見かけるのだが、「捨てシャリ」をした握りと、「捨てシャリ」しなかった握りをブラインド・テストで判別できて、しかも「捨てシャリ」をしなかった握りが常に美味いことが納得できてから語るべきという気がする。「捨てシャリしないのが素晴らしい職人」などという(いったいどこから来たのか知らない)風説が流布すると、修行の足りない生半可な寿司職人でも、見かけだけを気にして、酢飯の量を調整しないまま最初に掴んだ酢飯だけで握るようになる。それが本当によいのかどうか、老婆心ながらいささか心配する次第である。もっとも「しみづ」は確か「捨てシャリ」しなかったような。ま、そんな事はいつも目を皿のようにして見てる訳ではないので確証ないのだが。

いつもお会いするAご夫妻やら、関西から来られたO氏などと同席して、のんびりと飲みながら。このページ読まれてるA氏の奥様からは、「膝は大丈夫でしたか」と心配される。内部は少々腫れてるようなのだが、だいぶ痛みは去ったようなのであった。ま、皿は割れてないから大丈夫だろう。今朝、ゴルフの練習に行ってもスイングには支障なし。O氏とは、懐かしい関西の話なども。

お通しは本日から豆腐に。塩で食すると大豆の旨みが際立つ。いつもと同様にツマミを。ヒラメ、アワビ、サバ、赤貝など美味し。握りの最初に、イクラの軍艦巻を1貫。ここでイクラをツマミで食べたことは何度もあるが、酢飯と一緒に握りで注文するのは初めて。しかし、昨日から、どうしてもイクラが食べたかったのであった。ちょうど今の時期、店で漬け込んだ生イクラは、生臭さなど微塵もなく、サラサラと溶けるような脂だが、奥深い旨み。海苔ともよく合う。

その後の握りはいつも通り。握りは、清水親方よりやや小ぶりで形はやや細長いかな。しかし、どれも結構。ホロ酔いで店を出てタクシー帰宅。


2005/09/17 カウンタ画像 / 英語の会議 / 「隠された十字架〜法隆寺論」

 ぱるぷフィクション nishimuraさんからカウンタゲット報告で画像を送っていただいた。9/14に939,393。このDTIカウンタは、100万まで行ったらまたゼロに戻るのだろうか。妙なことが気になってきた。

土曜午後は、アメリカから来た現地法人マネジャーと移転価格関係の打ち合わせ。英語での会議は特段、苦にならないのだが、日本側で説明を行い、発言するのが自分だけという状況が忙しい。しかも説明原稿用意してなかったから、内容をまとめつつしゃべるというのが面倒。実際のところ他人の発言を通訳するだけのほうがずっと楽だ。あんまり考えなくてすむから。

途中でどういうわけか"Compromise"という単語をド忘れ。言い換えして切り抜けたが、忘れたとなると気になるもので、少々焦った。英語の回路もメンテナンスしてないから、頭の中でだんだん切れてきたか。はは。日曜に帰るそうなので、経営破綻したデルタとノースウエストには乗らないよう冗談言うと、「ユナイテッドで帰国するけど、あそこも何年か前にチャプター11をファイルした会社だものねえ」と。アメリカの航空会社は、実に厳しいビジネスだ。

夜は、とある仕事の打ち上げ。会社近くの居酒屋で、刺身やら串焼きやらで焼酎ロック飲んで騒ぐ。そんなに酩酊したつもりもないのだが、なぜか新橋駅近くで転んで膝を強打。やはりある程度は回ってたのか。結局のところタクシー帰宅。

帰宅してから、「隠された十字架〜法隆寺論」(梅原猛/新潮社)を読み進める。最初に読んだのはもう10年以上前。いわゆる、「梅原日本学」を打ち立てた記念碑的作品。 「大和朝廷の起源〜邪馬台国の東遷と神武東征伝承」を読んでから、また日本古代史づいている。梅原の、芝居がかった大時代的レトリックは少々気になるものの、読んで実に面白い。法隆寺は殺された聖徳太子鎮魂のための呪術的建築であったという仮説を次々と明快に立証してゆく。夢殿救世観音の光背が釘で頭に打ちつけてあるという部分は、今読んでも背筋が寒くなる。これが事実なのかどうか、おそらくもう証明するすべはない。しかし、梅原猛が見た幻視だとしても、十分説得力を持って成立しているところが素晴らしいのだ。


2005/09/15 私にも1万円くらい貰えないだろうか。

最高裁で、在外投票の制限に「違憲」の判決。原告に1人当たり5000円の慰謝料を払えとの判決。私も日本を離れていた5年弱、少なくとも2回は選挙があったはずなのだが、もちろん投票できなかった。今から国に請求して1万円くらい貰えないだろうか。まあ、貰えないだろうなあ。はは。

それにしても、違憲判決まで出るとは少々驚いた。すでに在外投票制度ができて、比例区は投票できるようになってても違憲。実際問題、海外在住者は海外転出届けを出して住民票が無い訳で、小選挙区は、いったいどこの選挙区を選択するのだろうか。転出した最後の住居地か。しかし在外公館でのチェックはどうする。考えてみるとなかなか難しい問題だ。

今週の「週刊新潮」、「選挙予測がはずれた評論家の恥ずかしい言い訳」という記事。8/23の日記でも触れたが、案の定、福岡正行教授が俎上に乗せられている。今回はあんまり見かけないと思ったら、「週刊ポスト」「週刊朝日」を中心に予想を載せてたらしい。8/12号では「民主過半数、岡田政権誕生へ」と分析していたというのが笑えるが、徐々に情勢判断を変更して、最終的には自民党の268議席と予想。まあ、それにしてもまだ予想が当たった範疇には着地できなかったというか。まあ、予想ってのも難しいよな。

今週は、昼は会議、夜は残業やら飲み会続きで疲労蓄積。昨夜、会社を出ると8時過ぎ。思いついて「しみづ」に電話すると、20分後なら空くとのこと。本屋で時間つぶしてから入店。お酒は常温。ツマミ最初はタイ。腹の身は脂がよくのって香り高い。背の身は軽く皮目を炙って塩で。これまた香ばしく旨み充実。タコは軽く色と味がついた桜煮風だが、しかし香りがよい。シャコも柔らかい漬け込み。アワビも濃厚な旨みあり。戻りカツオは芥子醤油で。赤貝ヒモ、ミル貝、ヒラメ昆布〆、シマアジなども貰って。握りはいつも通り。どれも素晴らしい。ホロ酔いでタクシー帰宅。

さて、明日はようやく金曜か。


2005/09/14 まったく同じことをしたポピュリスト首相 / 「美の旅人」

本日の日経朝刊では、選挙結果について「自民党は勝ちすぎ」と感じる人が多いとのアンケート結果。まあ、自分達が投票した結果を見て「勝ちすぎ」もないもんだが、小選挙区は惜敗した党に投じられた「死に票」が多くなる。獲得議席数と全体の政党支持率との乖離が起こるのは必然で、なかなか投票した人の印象とマッチしないのだよなあ。それにしても民主党は党首選びどうするのか。古いのを担ぎ出すのであれば、いっそのこと、渡辺恒三なんて古すぎて逆によいと思うが。はは。

今月号「文藝春秋」の巻頭特集、「宰相小泉が国民に与えた生贄〜かつてまったく同じことをしたポピュリスト首相がいた」(中西輝政)を興味深く読んだ。逆らう人間に刺客を送った劇場型選挙は、これが初めてではなく、20世紀初頭イギリスで、ロイド・ジョージ首相が、同様に行なった選挙に例があるのだと。このようなポリュリズムの時代を経て、欧米先進国の政治状況はすでにポスト・ポピュリズムの時代に入っていると筆者は主張する。

さて、我々はこのポピュリズムの時代を超克できるのか。今回の総選挙の結果が出る前に書かれた記事なのだが実に示唆深く面白い分析。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。そうして、いつかポスト・ポピュリズムの時代を迎えることが本当にできるのか。



「美の旅人」(伊集院 静/小学館)、ベッドサイドに長く置いて、時折読み継いでいたが、ようやく読了。

伊集院静がスペインを旅し、名画と画家の生涯を辿る旅行記。写真満載の美麗本。ダリの人生を最後まで支配した「運命の女」ガラ、ゴヤ、エル・グレコ、ベラスケスなどの巨匠を巡って語られるエピソード等も印象に残る。そしてスペイン各地を巡る旅情あふれる文章。ずいぶん前に日本で行った、プラド美術館展の記憶も甦った。

「昼に闘牛を見て、夜に売春窟に行き、翌朝には敬虔に教会で祈る、それが俺達スペイン人だ」と語ったのは、確かピカソではなかったか。何で読んだかはっきりとは思い出せないのだが。

聖と俗、高貴と卑、形而上と形而下、具象と抽象が、渾然となってむき出しに提示されるような作品群。イタリア、フランス、フランドルなどの絵画とはまったく違う、スペイン独特の燃える血を確かに感じさせる絵画。伊集院静の絵画選択が独特で印象的なせいでもあるだろうが、写真を見るだけでも実に面白い。この本を読むと、スペインを旅したくなる。



2005/09/13 遅ればせながら衆院選挙の感想など。

自民党支持が増えているのは以前から報道されていたが、あそこまで勝つとは、総選挙の結果にびっくり。マニフェストを比較すると、全て賛成とは言えないものの、民主党の政策にも納得行くものが数々あった。得票率と獲得議席がこれほど違うのは小選挙区制独特のマジックだが、これほどの民主党惨敗は正直予想してなかった。

自民党はやはり、「郵政民営化」一本に争点を単純化したのが功を奏したか。それが日本の最優先の政治課題であるとは思わないが、自民党のみが改革の旗手のような印象を与えたのは事実。ポピュリストたる小泉首相の真骨頂。

郵政民営化しか訴えてないのだから国民の信任も郵政民営化のみと考えるのが筋だが、数は力、今後はかなり強引な政権運営でも可能となる。自民党に全面的白紙委任を与えるような結果を見るに、有権者のSense of Proportionに若干の疑問を感じざるを得ないが、しかし、これが民意なのだからしかたない。

もっとも、開票速報開始と同時に、各TV局は自民党議席について軒並み300以上の大勝利を一斉に報道。実際には、300議席には届かなかったから、おそらく自民支持率はピークを過ぎ、潮目が変わっていたのは事実なのだがなあ。

得票率も上がってはいるが、事前の日経調査の「かならず投票に行く:78%」と比較すると10ポイントばかり少ない。聞かれるとカッコ悪いから「行く」というが、実際には投票しない層が、やはり日本人の1割いるのだな。



昨日の夜は、現地法人から出張で来日したアメリカ人社員2名と会食。汐留の串焼き屋。冷酒をグラスで頼むと、背の高いグラスに300mlなみなみと注いで持ってくる。料理も悪くなく、調子に乗って飲んでたら結構酩酊。酒が回るほどに英語の調子も上がり、流暢になると感じるのはやはり錯覚なのかねえ。


2005/09/11 ネットによる選挙活動

土曜の朝、目覚めると遠くから選挙カーからの連呼。この部屋はあんまり騒音聞こえないほうなのだが、よほど音量を上げてるのだろう。いよいよ選挙も終盤だものなあ。しかし、関係ない隣の選挙区の候補者名ってところが、妙に騒音感を増す訳であった。

騒音撒き散らすよりも、インターネットで政策を訴えるほうが金もかからないし静かで、選挙民にしてもずっと便利なのだが、なぜネットを利用した選挙活動ができないのだろうか。新聞で、ビラに類するものとして規制が及ぶと読んだ記憶あり。そもそも公職選挙法の規制が及ぶのは、ポスター、葉書、電話、選挙カーによる連呼など、在来の手法のみで、インターネット禁止条文を法律として追加したとは聞いていない。だとすると、インターネット利用禁止というのはお役人による法律解釈の問題か。

公職選挙法による種々の規制は、ひとつには、大金を投じた候補者と金のない候補者間にある程度の公平を維持するところにあるのではと思うが、インターネットのHPで政策を訴えたり、メールマガジンで選挙活動して、何か社会的不公正やら不都合があるだろうか。選挙カーによる大音声の連呼やら、電話による投票依頼のほうが暴力的でずっと迷惑至極である。

ネットによる選挙活動を可能にするには、法改正して利用可能なことを明示する方法もあるが、禁止が単に官僚の法解釈によるのなら、他にもその判断を書き換える方法はある。裁判によって、Webに政策を掲載するのは公職選挙法によるビラの配布にあたらないという判決出してもらえばよろしい。それが判例となって、実効面でお役人の判断を覆すだろう。そういう面では、誰か選挙期間中に平気で自分のホームページを更新して政策を訴え、選挙活動ブログも更新し、メールマガジンも通常通り発行するという選挙活動を行って、検挙を待ち、法廷でネット利用は公職選挙法違反にあたらないという論陣を張ればよい訳だ。

まず選挙違反として検挙されるかどうか。禁止が明文化されてなければ、検察サイドも逮捕をためらうのではないかと思うが、まずこれが第一関門。実効として逮捕されないという慣行ができればそれでもよい。そして検挙、訴追されたとするなら、裁判でどんな判例が出るか。なかなか興味ある問題で、誰かやってみてほしいもんだがなあ。当選確実ならそんなリスクを負うのは誰しも嫌だろうが、当選可能性ない候補にやってもらいたい。そうそう、ホリエモンなんか適任だったんだがなあ。社長日記を更新し続ければ、実に話題になったと思うのだが。

夜は「しみづ」訪問。カウンタには、よくお目にかかるAご夫妻。総選挙の話など雑談しつつ。お酒は常温。ヒラメは旨みあり上質。タコは香りも旨みも素晴らしい。久里浜のタコだと。シャコ、スミイカゲソ、アワビ塩蒸しと肝、赤貝ヒモ、カツオはカラシで、サバは皮目を焼霜に、ウニとイクラを小鉢で。どれも結構。このへんで握りに移行。中トロ2、素晴らしい。コハダもしかり。アナゴもいつも通り塩とツメと1貫づつ。これもよい。カンピョウ巻で〆。


2005/09/08 カウンタゲット報告 / 「赤塚不二夫のおコトバ〜マンガ人生50周年記念出版」 

規則正しい生活をしようとは心がけているのだが、泊り込みの研修があったり、研修所で1時半まで飲んでたり、オフィスに戻ると急なお酒の誘いがあったり。実際の生活というのはなかなか思うとおりゆかんな。本当にストレス・フリーで規則正しい生活をするには、世を捨て、祇園精舎で修行するとか、クムランの洞窟でエッセネ派の修行僧として生きるとかしないと。<できるはずないっちゅーの。



梶川さんから、 カウンタゲット報告あり。まだアメリカ在住だった97年に見よう見まねでサイトを開設した時は、ブログなんて言葉すらなかった。帰国後も酔狂にも継続して8年あまり。今時ブログでなく、エディタでHTML手打ちしてる個人サイトなんて天然記念物かもなあ。サイトを閉鎖しなければ、年内には累計100万ヒットに届くだろうか。遥か遠くまで来たような、経過年数考えれば大した数でもないような。



会社帰りに銀座の「旭屋書店」で購入した、「赤塚不二夫のおコトバ〜マンガ人生50周年記念出版」読了。赤塚不二夫の周りにいた友人・知人・家族が、赤塚不二夫が折々に語った忘れえぬ言葉を思い出して語るというもの。赤塚の人となりを表すエピソード満載だが、軽く読めて実に面白い。
食事にいっておいしくなかった場合、感想を聞かれるといつも「それは、あとで話す」といった。

自宅での宴会で、「ねぇ、ちょっと、ねぇ、デブ、こっちに来い」と編集者を隣に呼ぶ。周りに人がいなくなると、「さっきはゴメンね」と謝る。しかし、料理が運ばれまた賑やかになると、「デブだから全部食え!」と言った。

道で子供達に「あ、赤塚不二夫だ!」と騒がれた時、うつむいて赤くなり「そうだよ…」とつぶやいた。

「あ、今日はタモリの誕生日だ」と気がついて、ダイコンやらネギをあしらった花束を作って新宿アルタに持参して本人宛てに託そうとするが追い払われる。「そうか、オレは落ちぶれたんだ」と奥さんに話す悲しい顔。
行動は無頼だがシャイで繊細。周りに人を集めてはドンチャン騒ぎする金に無頓着な寂しがり屋。アルコール依存と幾多の大病。人を笑わすためにはどんな無茶でもやる破天荒な生活。そんな赤塚不二夫の横顔を彷彿とさせるエピソード満載。「なんでオレだけ谷啓なんだ!」にはひっくり返って笑った。

迷惑をかけられたけれども憎めない人物。周りが愛した赤塚不二夫の性格がよく出ている。とても普通の人生の参考にはなりようもない生活だが、あちこちに含蓄のある金言がちりばめられているのも興味深い。「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!」で読んだが、赤塚不二夫は脳出血で倒れ、現在では植物状態と聞く。奇跡的な復活を祈りたい。



2005/09/07 「しみづ」

水曜夕方は、台風直後の余波で空いてるのではと「しみづ」に電話。たまたま1席空いていたのでカウンタに。しかし、他に空席無しという盛況だから、そもそも台風の影響も大してないような。

カンピョウを釜で炊いていたので、親方とカンピョウ仕込の話など。味をつける前のカンピョウがあんなに真っ白だとは知らなかった。考えてみるとカンピョウってのも、寿司くらいでしか食する機会がない特殊な食品だな。「何が美味いってほどの物でもないんですが、無いとやっぱり寂しいんですよねえ」とは親方のカンピョウ談。

昔は「海苔巻」というと「カンピョウ巻」のことを指した。だから「海苔巻」と頼むのが「通」だ、とウルサイことを言う原理主義者がいる。しかし、実際に試してみると分かるが、昨今は巻物にもあれこれ種類があるため、得意になって「海苔巻!」と注文しても、「カンピョウですか?」と聞き返されることが多い。だったら最初から「カンピョウ巻」と注文したほうがお互い効率的だと愚考する次第である。ま、寿司屋の親父のほうでも旧世代にはウルサイこと言う奴がいるけどねえ。

時折お会いするI氏が隣に来られたので、あれこれ雑談など。

ヒラメ。スミイカゲソは軽く茹でる。タコは桜煮。シャコは卵入りだが柔らかく漬け込みしてあって美味い。塩蒸しのアワビは今シーズン一番だと親方談。大原の横で上がったと。身は柔らかくネットリとゼラチン質に満ち、芳醇な旨みが実に濃い。カツオはカラシ醤油で。赤貝ヒモも素晴らしい香り。この店では、買って来てから供するまでに一工夫あると聞いたのは、昔の中野坂上だったか。サバは焼霜にして。白ウニとイクラを小鉢でもらってお酒終了。

お茶で握り。まずマグロ赤身。砕けるような食感だが、シットリとした旨みがある。中トロ、大トロと本日はマグロ3貫。どれも素晴らしい。コハダ、アナゴ、カンピョウ巻ともらって終了。台風直後とはいえ、あまり影響は感じない。あえて言うならタコが桜煮だったことくらいか。これにしてもいちいち確認してないからどうか分からないが。ま、シロウトが余計な心配する必要はなく、きちんとした店はきちんと手当てしてるということだな。もちろんプロの苦労はあるにしても。


2005/09/05 どうせ行かないクセに、訊かれるとどういう訳か「行く」と答える。

「毎日新聞の特別世論調査で、投票に行くかどうかを聞いたところ「必ず行く」は75%に達し、前回衆院選の同調査の71%を4ポイント上回った」とのニュース。この手の調査では毎度のことだが、「行く」と答える人の率は実際の投票率よりずっと高い。どうせ行かないクセに、訊かれるとどういう訳か「行く」と答える層が、世間には結構存在するのだ。なんなんだろねえ。

選挙中盤情勢では、「自民党で単独過半数達成の勢い」という結果が各メディアから次々に。調査手法として「無作為抽出した電話番号」を利用したものが多いのだが、「昼間に電話調査に回答するのは、主婦か時間のある年寄りが多く、母集団に偏りが生じている」という批判も常に聞かれるところである。

世論調査のこの辺の問題や、信用のおけない点については、「「社会調査」のウソ〜リサーチ・リテラシーのすすめ」(谷岡 一郎/文春新書)が分かりやすく述べてあって、なかなか面白い本だった。

電話による調査では、「無作為に抽出」しているのは固定電話だけなのだろうか。最近では携帯電話しか持たない人も多い。もっとも携帯電話だけを母集団とすると、また世の中の大勢とは乖離することになる。広島6区で亀井静香を応援しているジイチャン、バアチャンは携帯なんて持ってないものなあ。(いや、持ってたら失礼。最近は小林桂樹もツーカー持ってるのだし。はは)

あるいは別々に調査して、普及台数に比例して、固定電話と携帯電話の結果をミックスするのが正しい方法か。なかなか難しいところ。アメリカで持ってた携帯は、市外局番も住んでる場所と同じで固定電話と同じ番号形態だった。固定電話と携帯電話の競争の公正を確保するためと当時の新聞で読んだが、今でも同様だろうか。だとすると、アメリカで無作為に電話調査すると、固定電話にも携帯にもランダムで繋がることになる。それはそれで公平ではあるのだが、当時携帯の数が急増して、市外局番がすぐにパンクし、何度も変更になったのには実際のところうんざりしたなあ。



日曜夜は、浅草「弁天山美家古」。ビール中生1杯と、「山田錦」純米300m1本。ツマミはおまかせで。まず3点盛り。タコ、シャコ、アワビ。アワビは肝ペーストと合えてあるが、これがなかなか美味い。シャコは立派な大きさ。しっかりした漬け込みの味。マグロと平貝のぬた。ここの味噌はしみじみと美味い。キハダマグロのネギマ汁はショウガが効いて、これまた美味。

このへんで握りを所望。10貫おまかせで。新イカ。ヒラメ昆布〆はネットリした旨み。赤貝。タイは皮目を湯引きしてあるようだが、旨みが濃い。コハダは1匹丸付けサイズ。サイマキ海老は甘酢をくぐらせたもの。アナゴ、煮イカは風味あるツメとよく合う。マグロヅケ、玉子焼きで握り終了。相変わらず硬めに炊き上げてスッキリした味付けの酢飯が美味い。最後にカンピョウ巻を所望。色はやや薄いがしっかり味がついている。これも結構。勘定もたいへんリーズナブル。いつもながら古式を残す安定した仕事。1時間弱で店を出る。


2005/09/04 「マザー・テレサ」

午前中はゴルフの練習で一汗。隣の打席では、初めてボール打つと思しい高校生くらいの息子に親父さんがあれこれ教えている。仲のよい親子らしく、やり取りがなかなか微笑ましい。そうそう、止まってるボールをティー・アップしたとはいえ、最初はなかなか当たるもんではないんだよなあ。と思いながらスイングすると、こっちもダフってボテボテの当たりが。アッ。ゴルフ上達への道は迂遠である。

午後は銀座に出て「マザー・テレサ」を見た。

オリヴィア・ハッセーも、もう54歳。プロモーションで来日した時のTVではずいぶん老けたなあという印象。しかし映画の中で修道服に身を包み神に祈る姿は、実に可憐でまるで少女のように見える。哀しみをたたえながらも強い意志を感じさせる澄んだ目が印象的。実際のマザー・テレサの生涯を題材とし、極端な映画的脚色を廃して淡々と描いた分、観客に静かな感動を与えることに成功している。

貧困と混乱のカルカッタ。ただ神の御心を信じ、修道院を飛び出し、混乱と動乱のカルカッタの路傍で、貧者、子供、病人のために捧げた生涯。新たな修道会設立を審査するためにローマからやってきた神父をも「誰も神のペンシルを止めることはできない」と感嘆させた生涯を、ハッセーが実に印象深く好演。

カトリックでは、「聖人」と呼ばれる前に「福者」という尊称がある。本来、何十年も審査にかかるのが通例らしいが、マザー・テレサは異例にも没後数年で「福者」に列せられたと報じられたのも記憶に新しい。うっかり見過ごすが、彼女が修道会を設立して活動したのは、市民の大半がヒンドゥー教とイスラム教であるインド・カルカッタなのであって、これも考えてみると実に困難な道であったのだろう。私はクリスチャンではないのだが、クリスチャンには実に偉大な人物がいる。素直にそう感じる伝記映画である。



昨日の夜は「しみづ」。早い時間に入店すると、「なんだか久しぶりな気がしますね」とダイスケ君が。そういえば先週は来てないのであった。しばらくカウンタは私一人だったので、親方も交えてあれこれ雑談。清水親方はこんど淡路島に行くとか。そういえば、あのへんからもあれこれよい魚が築地に来ている。

最初にビール小。お通しは枝豆。ヒラメは立派な身。しっかりした身にはネットリ感を感じるくらい脂が乗っており旨みも十分ある。北海道だそうだが、もうカレイよりヒラメのほうがずっとよいですねと親方談。タコはいつもながら香りよく、噛み締めると深い旨みあり。漬け込みのシャコも柔らかく美味。アワビもしっとり芳醇な旨み。

カツオは背と腹と煮切りを塗って。アジは東京だとか。赤貝ヒモは、置いた時から爽やかな潮の香りがする。今週から出たらしい。トリ貝も実に立派な身で甘みあり。スミイカゲソを軽く炙ってツマミに。この辺でお茶を貰って握りに移行。マグロも結構。コハダは1匹丸付け。この店のシッカリした〆にかなり耐えられるほど厚みが出てきたが、これが美味い。アナゴ、カンピョウ巻と貰って〆。


2005/09/03 NEW ORLEANS / STATE of EMERGENCY

今週はあんまりニュース見てなかったのだが、週末になってCNNで「STATE of EMERGENCY」という特番をチェックしていると、アメリカ南部を襲ったハリケーンの被害は実に深刻。堤防が決壊して冠水被害にあったニューオーリンズ市内が、略奪や銃撃放火などの犯罪で無法地帯と化しているというニュースには背筋が寒くなる。

アメリカが、自由とチャンスの国というのは一面の真実ではあるのだが、そのかわり貧富の差は激しい。人間も高尚なのから最低の鬼畜まで、日本では考えられないほどバラエティに富んで取り揃えているから、災害で警察が十分機能しなくなると、治安が元々悪い地域では確かに何が起こるか分からない。しかも、銃器所持している奴が普通にいる。南部ならなおさらだ。

今回の水害で逃げ遅れ救援を待って市内で立ち往生しているのは、ニューオーリンズ市内の貧困家庭が多い。南部の貧困家庭というと、CNNの映像見てもほとんど黒人である。なんだかまるで、アフリカであった災害と見まごうばかり。避難所で取材するキャメラの脇では、ホームレスなのか正気なのか疑うような、体格のよいレゲエ風のオッサンが怒鳴り散らしている。インタビュアーに喚いているうちに興奮のあまり過呼吸(?)で倒れる黒人女性。昔、アメリカ住んでた時、「COPS」という警察ドキュメンタリーでは、時折ああいう風景を見たが、災害の被害地で大規模にああいう阿鼻叫喚が起こってるというのは、アメリカでも珍しい地獄絵ではないだろうか。実にお気の毒だし早い復興を祈りたい。

逃げ遅れたのは、貧困家庭がほとんどが車を持っていないからだともニュースは伝える。スクールバスを盗み、大勢の避難する人を乗せてヒューストトンまで運転してきた少年も画面に映っていた。アメリカは車社会と言われるが、スプロール化が進んだ大都市中心部から近郊にかけて車を持っていない貧困層が住むエリアが広がっている。電車などのパブリック・トランスポーテーションが整備され、駅ができると逆にその周りの地価が下がるというのもアメリカでよく聞いた話。日本とは逆だが、車を持ってない貧困層が移り住んで来て治安が悪くなるからだと。

昔、都市開発を行うシミュレーション・ゲームに「シムシティ」というのがあった。元はPC用でプレステにも移植されたと記憶しているが、このゲームでは、道路を増やすと車で公害が増え都市発展に悪影響。電車網を整備すると、環境にも好影響で都市が発展する。アメリカ産のソフトだから開発者もアメリカ人のはずだが、現実よりも未来を信じていた理想主義者だったのだな、きっと。当のアメリカでこの理想が実現していないのは皮肉な話。

昨日の夜、官房長官が、この災害に対して日本政府から赤十字へ20万ドルを寄付すると発表。なんだかずいぶんケチな金額で、ちょっと耳を疑った。その程度なら、日本政府がやらなくとも、北島三郎や杉良太郎なら個人でもできる。オーストラリアの寄付が8百万ドル。インドネシア津波で大被害を受けた貧乏国スリランカですら、2万5千ドルをアメリカ赤十字を通じて寄付すると発表しているのに。なんかこう、福音書の「The Widow's Offering」を思いだすな。

前回のインドネシア津波、アメリカは最初ずいぶんケチな寄付金額を発表して後で慌てて増額したと記憶する。いくら忠犬ポチだからと言って、当の親分への見舞いに親分の間違いをキッチリと踏襲せずともよさそうなものだが。



2005/09/02 「スペースシャトルの落日」

風邪を引いたか体調不良。本日は飲まずに早々に帰宅。

「スペースシャトルの落日」(松浦晋也/エクスナレッジ)読了。今週、本屋でたまたま手に取ったもの。

著者は航空・宇宙関係を専門とするノンフィクション・ライター。アメリカが開発したスペース・シャトル計画には、そもそも最初から設計コンセプトに大きな間違いがあり、巨額の開発費をムダに使った世紀の大失敗プロジェクトであったことを説いた本。読みやすく、なかなか面白い。

オービターに翼は無用だった。人間と荷物を一緒に打ち上げる設計によって安全対策が難しくなった。何にでも利用できる汎用性を求めた為、オービターは逆に何に使うのも困難になった。再利用可能なシステムが必ずしも安上がりとは限らない。著者の論旨は明快で、示唆に富んでいる。読むと確かに頷ける話ばかり。

当初コンセプトの誤りから、プロジェクト遂行にあたり安全上の問題点が次々に発生し、それに泥縄で対応するために巨額の追加費用と時間を要した。その影響で、宇宙ステーション計画や外惑星探索プロジェクトが遅延を重ね、全世界の宇宙開発・研究が大きな停滞に見舞われた。これも著者が指摘するスペースシャトル計画の悪影響。

アポロ計画終了以降、予算獲得と組織維持のため、世間の注目を集めるプロジェクトを必要としていたNASAと、大型受注を欲していたアメリカ航空宇宙産業双方の利害一致から生まれた巨大プロジェクトがスペースシャトル計画。しかし、その内実がこんなにオソマツなものだったとは。

シャトルのペイロードは100トンあまり。しかし、打ち上げてまた地球に帰還するオービターだけで70トンある。重心やロケットの制御を考えると、実際に宇宙に運べるのは20トンを切る。実に効率の悪い運搬手段。地球周回軌道に人間を打ち上げて、使い捨てのカプセルでパラシュートにより地球に帰還するというのは、ロシアのソユーズでもいまだに採用されているすでに円熟した技術であって、安価に実現できる。重たい荷物はサターンで別途打ち上げる案と併用すれば、シャトルを使わずとも、今頃宇宙ステーションは安全にもっと立派なものが完成していただろうと著者は言う。

安全面についてはどうか。「チャレンジャー」の事故後、調査委員会を率いたノーベル物理学者、ファインマン博士は、シャトルが致命的な事故を起こす確率は10万分の1だというNASA幹部の話を聞いて唖然とする。アメリカ技術評価局の見積もった確率は50分の1。NASAは後に500分の1だと訂正した。実際には、(この本が出版された時点で)113回の飛行に対して、全クルーが死亡するという致命的大事故が2回(「チャレンジャー」と「コロンビア」)起こっている。どの推定が正しかったのか誰にでも明らか。先日の「ディスカバリー」の地球への帰還にしても、単なる僥倖だったのかもしれない。

まあ、しかし、計画が発表された頃には、何度も自由に宇宙と往復できるシャトルというのは、SFの世界が現実になるような夢ある話に思えたがなあ。翼のあるデザインも、宇宙船として確かに斬新だった。キューブリックの「2001」の冒頭に「パンナム」のロゴが入ったシャトルが地球上空の軌道に浮かんでいる場面があったのを思い出した。


2005/09/01 落選したらタダの人。 

早いものでもう9月。

部下にちょっとした異動があったので、昨日の夜は歓送迎会。カレッタ汐留46階まで。ひとつ上の階のイタリアンは、以前訪問した懐かしい場所。この和食店も本来ならば景色は素晴らしいのだが、残念ながら少々霧が出ており、あんまり遠くは見えない。生ビールの後で秋田の純米酒など飲んであれこれ歓談。料理も値段からすれば悪くない。お酒はやや高いか。盛り上がるうちに、結構な時間に。疲れが出て新橋からタクシー帰宅。

本日午後は、とある業界団体の会議に出席。例年この会から出している法制改正の要望書があるのだが、そろそろ提出時期となって折悪しく選挙にぶちあたってしまった。与党と大臣、党の調査会メンバーなどに例年送っているらしいのだが、今回は選挙の結果を見つつ、落選した先生は配布リストから外してと事務局の話。代議士も落選すればタダの人。確かに、もう議員で無くなった人に嘆願しても意味がない。しかし、落選したら潮が一気に引くように、人も情報も金も集まらなくなるだろうなあ。代議士(とその周りで利権にたかってる取り巻き連中)が、当選に向けてシャカリキになってる理由が分かるような、なかなか厳しい話ではある。



2005/08/30 辻元清美と「大阪お笑い百万票」

衆院選がいよいよスタート。辻元清美は大阪10区から立候補。正義の名の下に他人に嬉々として石を投げつけた人間が有罪判決を受け、執行猶予中に立候補というのは、厚顔無視と呼ぶ以外に形容を思いつかないが。もちろん、執行猶予中の立候補を妨げる法律があるわけではない。昨年の参院戦にも出馬していた。それでもなお、辻元を応援するのなら、ムショから刑期を終えて出所してきた中村喜四郎元議員のほうを応援したいという気がするなあ。

昨年の参院選、辻元は、「大阪お笑い百万票」が加算されたか約72万票を獲得するものの惜敗。「お笑い百万票」は、王道としては、お笑いタレントに流れるのであるが、そもそも浮動票であるから、「オモロかったらエエやんか」のノリで、付和雷同して低きに流れる場合も往々にしてある。権威を嫌い、お上の規則や官僚主義を嫌うのが関西の体質だが、悪いほうに出るとロクでもない候補に票が流れるわけで。ま、どうなるやら。もっとも、先週の週刊文春、当落予想特集では、現在のところ当選には及ばないような。

同じ予想では、ホリエモンは民主党候補の票を食うも落選。亀井静香が漁夫の利を得ると出ている。まあ、頷ける結果ではある。トータルでは、自公、民主とも過半数に届かないとの結果。現段階の各種メディアの支持政党調査では、自民党が圧倒的優位だが、小選挙区制による個々の候補者の勝敗集積の結果は必ずしもその通りにはならない。実際の選挙結果では果たしてどうなるか。


2005/08/29 「ランド・オブ・ザ・デッド」

日曜午後は日比谷まで出て、「ランド・オブ・ザ・デッド」を見た。かなりキャパの小さな劇場。TVCMも見た記憶ないし、配給会社も、大ヒットはあんまり期待してないのかね。

ホラー映画がブームだった頃、しきりに一連のゾンビ物が粗製濫造されたが、そもそも「Living Dead(ゾンビ)」映画は、「NIGHT OF THE LIVING DEAD」、「DAWN OF THE DEAD」、「DAY OF THE DEAD」の「ゾンビ3部作」を製作したジョージ・A・ロメロをもって嚆矢とするのである。昨年、この第2作(日本では「ゾンビ」という邦題で公開)を別の監督がリメイクした「ドーン・オブ・ザ・デッド」が公開され、見た感想を過去日記に書いた。

「ゾンビ3部作」は、night、dawn、dayと時制が変わるにつれ、死者が白昼堂々と世界を歩き回り、人間は追い詰められてゆく。今回の作品は時間軸で言うと、3作のうち、「Dawn of the Dead」の後で「Day of the Dead」の前に位置する。司馬遷の「史記」流に言うと、以前の3部作が、「本記」であれば、これは、ゾンビが地球を支配してゆく歴史の中で、北米のとある都市の崩壊に焦点を当てて描いた「列伝」にあたるだろか。「司馬遷に匹敵するほど大層なもんか!」という批判に対してはそれを真摯に受け止めて、すぐにでもこの見解を引っ込める用意はあるが。はは。

ゾンビの群れからまだ安全な北米の小さな都市。その超高層ビルに住む街の支配者。金持ちだけが住めるそのビルやショッピング・モールでは、明りがまだ煌煌と使え、携帯も通じ、レストランではウェイターが料理をサーブしている。金で雇った傭兵によって、近隣のゾンビだらけの町から物資を略奪してくることによって成り立つ、崩壊直前、かりそめの都会。

都市の支配者、デニス・ホッパーは、なかなか悪くなかったが、記憶に残るほどでもない。商売だからとやってきて、シナリオ読んで「ああ、いつもの奴ね」と簡単に納得し、簡単に演じて去っていった風。せっかく高いギャラ(だと思うのだが)払ってるのだから、もっとアンビバレンツで異常な性格やら、究極の悪人の側面を強調して役を膨らませたらもっと面白かったと思うのだが。脚本の出来かもしれないが、監督のロメロそのものも多分、大物俳優に細かい演出できるほどの力はないんだよなあ。

上映時間は90分。この程度で長さもテンポもちょうどよかった。最近の映画にはムダに長過ぎるのが多いし。気味の悪いゾンビなら、よほどの「ゾンビ・フェチ」以外は90分も見たら十分だ。

「ゾンビ」ならではのグロテスク・シーンも、壁に映る影で表現したり、一瞬のショットにしたり、昔より見せ方は少しばかり洗練されている。もっとも、アメリカの通常波TVでは決して放送できないだろう残虐シーンはあちこちに。

チア・リーダーの格好のままゾンビと化した女性は、前回までの3部作同様のお約束。アメリカのどこにでもあるようなショッピング・センターを徘徊するゾンビの群れは、ズタボロではあるが典型的アメリカ中・下層階級のファッションを身にまとっている。ロメロの描く「ゾンビ」は、飽食の大量消費、判断中止状態に陥って痴呆と化したアメリカ人に、ある意味「お前達は生きてないよ」と戯画的につきつけた批判だったのでもある。そして今回の映画では、人間側に貧富、権力の差を導入することにより、人間社会に対する皮肉な比喩は更に陰影を増して成立している。日常に潜む恐怖という面では、深読みするならば、「ボウリング・フォー・コロンバイン」でマイケル・ムーアが扱った種類の恐怖さえ思い起こさせる部分あり。「ゾンビ」が銃を撃つことを覚える場面では、合衆国修正憲法、「武装の自由」を諧謔的に思い出したもの。

まあ、しかし、やはりこの手の映画は、映画館から出た時が一番ホッとしてよい。周りどこにもゾンビはいないという喜びと安全。当たり前といえば当たり前だが。ホラーというのは、映画館から出て現実に戻った人間を「幸せにする装置」として機能しているのだ。


2005/08/27 「ギュスターヴ・モロー展」と「西洋美術解読事典」

午前中はゴルフ練習場で軽く一汗。残暑の中とはいえ、だんだんと過ごしやすくなってきた印象。しかし、練習すればするほどショットがブレるのはどういう訳か。ゴルフ達人への道は日暮れて道遠し。

渋谷で開催中の、「ギュスターヴ・モロー展」に。渋谷も実に久しぶり。

キリスト教や、ギリシャ神話に題材を取った幻想的な絵画。Symbolist:象徴主義、の先駆けとも評価されるらしいが、印象派の芸術よりも、ある意味もっと人間のemotionに訴えかける。もっとも、西洋文明の根底にある神話等についてある程度の知識がないと理解できない部分多し。

聖書は読んだことがあるからキリスト教関係についてはある程度理解できても、ギリシャ神話関係はサッパリ知識なし。ケンブリッジに学んだ吉田健一は、酔っ払うとラテン語の詩を朗々と暗誦してみせたそうだ。世界は狭くなり、海外留学も当たり前になったが、日本の西洋理解というのもやはりアメリカが中心。西洋文化の根底における理解という面では、昔の日本人のほうが偉かった気もするな。

「ユピテルとセメレ」、「ヘラクレスとレルネのヒュドラ」、「メッサリーナ」、どれも印象的。そしてサロメとヨハネの首を描いた有名な「出現」。モローが提示する実に異形で不思議な幻想。この絵は、「美の巨人たち」でも取り上げられたことがある。

サロンに出品されて話題を呼んだのは、ルーブルにある水彩画のほう。本展覧会に出品されているのは、パリ、モロー美術館所蔵の油絵のほうだ。油絵は最後までモローが所蔵し、晩年に不思議な線描を追加しているのだが、これがまた不思議さを増幅している。ルーブルに行った折、水彩の「出現」を見たかどうか。思い出そうとしているのだが、もう記憶ははっきりしないのだった。

帰宅してから、購入した図版集をチェック。ヘラクレス、ユピテル、レダ、ガニュメデス、一角獣、サロメなどのキーワードを、「西洋美術解読事典」(河出書房新社)で確認しつつ、再度絵画を見るとなかなか面白い。この事典は、Amazonで見つけて購入したのだが、西洋絵画・彫刻における主題、象徴がいったい何なにかを簡潔に解説してあって、絵画鑑賞には実に役立つ。前に、「聖アントニウスの誘惑」についての解説をたまたま読んで、「ああ、あちこちで見かけた絵はそういうエピソードだったのか」と実に感動した。まあ、普通「聖アントニウス」が誰かなんて知ってる日本人はあんまりいないと思う。彼我の教養の範囲にはずいぶんと違いがあって、それを埋めるには好適な事典。美術の専門家には物足りない内容かもしれないが、普通の人ならこれ1冊あれば西洋美術の理解には十分だろう。美術館に持ってゆけるサイズならもっと便利なのだが、まあそういう訳にもゆかないか。


2005/08/26 刺客への握手を無視?

台風一過。今朝、通勤前には雨が上がり、富士山も山頂は雲に隠れているものの山肌が見えるほど。

部屋を出る前、TVでみのもんたの番組を見てると、岐阜選挙区に野田聖子への刺客となった女性候補が、岐阜市長に挨拶に行き、握手を無視されたと映像入りで紹介してたのが面白かった。佐藤ゆかりという候補らしい。握手しようと手を出したが、市長は無視したように、そのままお辞儀。佐藤候補も、「あ、これは握手してもらえない」という風に、あわててすぐに手を引っ込めてお辞儀に切り替えたのがよく分かり、逆に好印象だったのでは。

外資系証券会社勤務とだけ、経歴を以前に新聞で見た。単にチョロっと留学経験があって英語できるだけの「外資ゴロ」、「オヤジ殺し」かと思ってたが、今週号の週刊文春でチェックすると、滞米16年、コロンビア大学政治学部で修士号、ニューヨーク大学で経済博士号取得したと真面目な経歴。まあ、野田聖子も、女性代表というより、自分の親父が政治家だった地盤と利権をそのまま引き継いだ2世議員なのだが、あたら有能な女性同士が同じ選挙区で叩き合わなくてもよいのではないかと思う次第である。

岐阜市長は、特定の候補者と握手すると選挙活動に利用されるから、と後の取材で述べたらしい。まあ、そんな中立を図った風にも見えなかったが、好意的に考えるなら、女性と握手するという考えがなかったのかね。日本では確かにあんまり女性と握手する習慣はない。男性同士でも、それほと一般的でもないかもしれないなあ。

欧米では、レディ・ファーストで、エレベータの乗り降りは女性が先だとは日本でも知られているが、あれも、欧米の女性が当然のように風を切って先に歩み出すからスムースなマナーとして成り立つ訳で。握手は女性に無理強いしてはいけない、というのも日本の本で読むマナーだが、アメリカで仕事していると、紹介されて目が合うと向こうからスッと自然に握手の手を差し出してくる女性にもよく会った。まあ、佐藤候補も滞米経験長かったからつい向こうの習慣でということか。しかし、日本の政治家は男女問わず、選挙戦では有権者と握手連発するのだから、岐阜市長の対応も、いまいち腑に落ちないといえばその通り。


2005/08/24 高野連幹部も連帯責任で

駒大苫小牧、野球部長の暴力事件について、高野連が近く処分内容を検討するとか。本大会の出場校が決まってからの出場辞退やら、優勝してからの不祥事発覚やら、今年の高校野球夏の大会はモメ事多し。というより、高校スポーツで、不祥事やら暴力事件というと決まって高校野球という印象があるが、その原因が何なのか考えないと何時まで経っても同様の事が起こり続ける気がする。

高野連の何にでも「連帯責任」を問う体質は、昔から一部では批判されてきたが、新聞社は自社の新聞拡販のため大会に協賛していることもあり、あんまり表立った高野連批判をしない。

最近は、事前にきちんと報告があれば、問題がある部員だけの処分を認め、連帯責任を問うていないとの説明もあるが、明徳義塾のように報告が遅れたら、結局、全員道連れで出場辞退。

この連帯責任というのも、一般社会で普通に通用する概念ではない。ある会社員が不祥事起こしたら、上司、同僚、部下全員減給となるだろうか。一人が失敗したら全員並ばせて殴られる。あるいは全員丸坊主。昔の軍隊や、精神論が優先する体育会生活でのみ通用する古い考えという気がする。

しかも、学校や野球部がなぜ不祥事を隠すか。それは、正直に高野連に報告すると悪いことが起こるのをみんな知ってるからだ。「叱らないから正直に話してごらん」とは言うが、真に受けて真実を白状するとビンタを食らう。旧軍隊で新兵をいじめた古参兵のような体質を、誰もが高野連に感じているからに他ならないだろう。

報道によると、「明徳義塾の件も即座に報告されていたら、該当選手だけの出場停止だけで済んだ可能性もある」と話す高野連関係者が多かったとのこと。しかし、あくまで「可能性もある」だ。該当選手だけの出場停止だけで済まない可能性があるからみんな隠すのだよな。

ま、連帯責任を究極に問うというなら、高校の野球部で不祥事が起こるたび、高校野球指導の頂点に立つ高野連の幹部が辞任することにしてはどうか。自らは裁く立場で、悪いのは学校だけというのも妙な話。精神論やシゴキが当たり前、旧軍の内務班のような体罰中心主義で自らが育ち、後輩を殴りながら育ててきたのが日本の野球指導だったとしたら、生徒を殴る部長、後輩に体罰を与える先輩を作ってきたのも高野連の幹部だ。「ワシらが若い頃はもっと殴られた」というのなら、しゃかりきになって体罰を処分などする必要なかろうし、学校を処分するのなら、高野連幹部も連帯責任取ればよいのでは。



2005/08/23 、「オレは今、何党だったと秘書に問い」

今朝の日経「春秋」に、「オレは今、何党だったと秘書に問い」と言う昔の永田町川柳が紹介されていた。「日本新党」や「新生党」など新党ブームだった頃も確かにあったよなあ。今回の衆議院選挙でも、あれこれと新党設立が目立つ。新党「日本」は、党首が県知事というところが珍しい。「政界一寸法師」荒井広幸議員は参院なので今回の選挙は高みの見物。ただ、残る衆議院議員3名は大都市選挙区で、あまり選挙に強くないというのも、なんとも頼りない船出。議員が5名揃って政党要件を満たすことができるかも今後の焦点。

浮動票が物を言う大都市圏では、確かに、守旧派・オールド・イメージの亀井静香を党首にかつぐのは得策ではない。しかし無所属では比例で救われるチャンスもなく、小泉の放った刺客に食われるばかり。ある意味苦渋の選択か。

亀井新党の名前は「国民新党」だったか。それにしても、どこかで聞いたような聞かないような、インパクト皆無の名前。玉砕覚悟で行くのなら、いっそのこと気宇壮大に「国家万年の計」をキャッチフレーズに、「新党 亀」と名前をつける。ポスターには亀井静香の顔をドカンと載せて。得票は減るだろなあ。<減ったらアカンがな。

「社会調査」のウソで前にも書いたが、選挙になるとある意味楽しみなのが、おなじみ福岡政行教授の選挙予測。したり顔で語る割にはサッパリ当たらない。

しかし、毎回、ケロっとしてメディアに出てくるところを見ると、それなりに需要があるのだろう。まあ、必ず当たらなければ、逆張りすればすべて正解ということで、それなりに使える貴重な予測ではある。そもそも「選挙予測のプロ」なるものは、実際に選挙を戦う政治の戦場のほうに裏方として存在するのであり、メディアに出て能天気に無責任な予測をしゃべる学者は、所詮「アマチュア」と言うべきなのだろう。

それにしても、小泉内閣の支持率はまた上昇しているとか。どうにも不思議な気がするが、これが選挙結果にどう反映されるか。なかなか判断に迷うところであるが、福岡教授の分析を待って判断したい。そう、逆張りで(笑)。