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2005/08/21 「大和朝廷の起源〜邪馬台国の東遷と神武東征伝承〜」

お昼前、TVに新潟で地震のテロップ。しかし、東京は、ほとんど揺れなかったような。まったく気づかなかった。

「大和朝廷の起源」(安本美典/勉誠出版)読了。「邪馬台国の東遷と神武東征伝承 推理・邪馬台国と日本神話の謎」と副題にある。今週の週刊文春「私の読書日記」で立花隆が感心していたので購入。立花隆には一部に批判本も出ているが、政治、経済、文学、歴史、自然科学、文化系から理科系まで区別なく興味を持つフィールドの多彩さと読書量は尋常ではない。書評で褒めている本には、確かにあんまり外れがないというのが個人的印象。

著者の安本美典は邪馬台国やら日本古代史関係の本でおなじみの名前。邪馬台国本も、以前ずいぶん読んだなあ。中には市井の研究者が書いた、「邪馬台国四国説」なんてトンデモの香ばしい香りがする本もあったが。個人的には九州説が正しいのではないかと。

古代天皇家の伝承は、皇国史観の根幹を支える事実として戦前は義務教育に取り込まれ、神武天皇が即位したという伝説の紀元前660年から数えた皇紀2600年は、神国日本の戦意高揚に利用されたなどの歴史がある。戦後はその反省から、古事記、日本書紀の神代の記述について触れるのが逆にタブーとなり、単なる根拠ない伝説と片付けられる風潮であった。確かに、初期の天皇の年齢が軒並み100才を超え、60年、80年の治世の天皇もいるなど、信憑性に欠けるデータが多いのは事実。

著者は、数理統計学的手法を使い、「記紀」の文献から、歴代天皇の在位、年齢等を整理比較分析して様々な仮説を論証する。初期天皇の在位期間は、平均在位60年を前提に記述者が適当に按分して作成したに過ぎず、魏志倭人伝等を援用して推定するなら、初期の天皇の平均在位は10年程度であること。初期天皇の年齢・治世は今の半年を1年とする暦年法によっていたのであり、半分に補正するなら、その後の平均在位とも齟齬が生じないこと。それらの計算を採用するなら、神武天皇の治世は西暦3世紀末と考えて、他の年代とも平仄が合うこと。推論は理路整然として実に興味深い。

そして神武の治世がその時代であったなら、魏志倭人伝の卑弥呼は、古事記・日本書紀記載のアマテラス(天照大神)であると考えて矛盾がないこと、邪馬台国は九州に存在した王朝であり、神武東征が、九州から大和への王朝の移動であったという説明で無理が生じないことなど、次々と論証されてゆく過程が実に面白かった。

そもそも日本の古代史については、確たる文献、証拠も存在しないことから、どの説についても完膚なきまでに証明するには無理がある。立花隆は、「この説だけが絶対に正しいという根拠にはならないが、謎のモヤモヤが取り除かれた気がして、大筋これで結構、(略)もうこれ以上、「邪馬台国はどこだ」式の議論に付き合って頭を悩ませるのは止めたとキッパリ思った」と書いている。確かにそういう読後感。

私も同様に、もう悩むのは止めてこういう風に信じることにしよう(笑)。「記紀」の神代部分には何らかの史実が投影されている。邪馬台国は北九州。卑弥呼は天照大神。九州の邪馬台国王朝から神武が東遷して大和に都を据え、そこが大和王権の始まり。井沢元彦「逆説の日本史〜古代黎明編」でも、西暦3世紀の皆既日食と卑弥呼の死を結びつけて、卑弥呼=アマテラス説が紹介されているが、普通に考えて全般的に破綻のない説という印象。

もっとも、仮説はどこまで行っても仮説。どれだけ現実に適合して無理がないかということでしか語れないのが残念なところ。古代史の学会では、出身大学によって学派が違い、いまだに喧々諤々の議論をやってるようである。未発見の事実を明らかにする考古学的大発見でもあればまた話は別なのだが。もしも日本史を書き換える大発見の可能性が唯一残っているとしたら、奈良に数多く残る歴代天皇陵の発掘なのだが、これは宮内庁の分厚い壁に阻まれているのだなあ。

余談だが、天孫降臨の地は、宮崎説と鹿児島説とあるそうだ。個人的には鹿児島説、霧島に降臨したと信じたい。霧島には何度も行った。由緒ある霧島ゴルフクラブでラウンドする時に見える、高千穂峰、韓国岳、新燃岳は、どこか不思議な懐かしさを感じさせる静かな山容。スコーンと突き抜けたような開放感と荘厳な雰囲気が同居している霧島神宮もまたよい。神武天皇はここに降臨し、東遷して大和に向かった。そういう古代のロマンがいまだに生きている土地のような気が確かにするのだ。