MADE IN JAPAN! 過去ログ

MIJ Archivesへ戻る。
MADE IN JAPAN MAINに戻る

2004/11/23 「広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス」

調子が悪いので昨日は一日中部屋でゴロゴロ。夜は加湿器をかけて薬とビタミンC飲んで。一夜明けるとかなりましになった気がする。

「広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス」(スティーヴン・ウェッブ/青土社)読了。

フェルミ・パラドックスとは、マンハッタン計画にもかかわった天才物理学者、エンリコ・フェルミに由来する。昼食時に彼が回りにもらした、「広い宇宙に地球外生命体がいても不思議ではないが、いるように見えないのはなぜか、どこにいるのか」という疑問である。

フェルミは、「フェルミ推定」という彼独特の概算手法を学生に説いたことでも有名。「世界中の海岸にある砂の数はいくらか」、「シカゴにはピアノの調律師が何名いるか」など、一見しただけでは回答が出そうに無い問題について回答を推定する手法。問題をいくつかの主要要素に分解して仮説を立て、推定を行い、答を幅を持って概算する。「フェルミのパラドックス」は、フェルミ自身が考えた地球外文明の存在確率からすると、「宇宙には他にも誰かいるはずだ」という素朴な疑問から発している。

この本の著者は大学で教える物理学者であるが昔からのSF好き。地球外文明(extraterrestrial civilization:ETC)とエイリアンの存在について、(1)実は来ている、(2)存在するがまだ連絡がない、(3)存在しない、の3つのジャンルに分け、50のありうべき説明について、天文学、物理学、生物学などの見地から詳細な検討を加えている。回答の中には、「彼らはもう来ていてハンガリー人だと名乗っている」などジョークに過ぎないものもあるが、他の回答への検討にしてもユーモアにあふれ、頭の体操、知的な一種の思考実験として実に面白い。

「もうすでに来ている」派というと、いわゆるUFO信者やら怪しげな宇宙教関係、アダムスキー、さらにはフォン・デニケンなど多士済々な面々が思いつくが、イマイチ信頼性にかけるメンツであるし、なにしろ物的な証拠がねえ。生命の外宇宙由来説もここに含められているが、これまた証拠無し。「神は実在する」派も著者はここに分類している。しかし、これは信仰あるいは神学の問題であって、同じ土俵での議論は難しい。

「まだ連絡がない」派には、カール・セーガンなど科学者も多い。外宇宙からの通信を捕らえようとするSETI計画などもここの範疇。私も希望的推察としてはこの説にくみしたい。宇宙からはいまだ何の通信も聞こえてきてないとはいえ、逆に地球文明が意志を持って外宇宙に通信を送ろうとした企てですらまだほとんど行われていない。広大な宇宙と悠久の歴史を考えれば、まだ声が聞こえてこないだけかもしれないではないか。空飛ぶ円盤に乗って宇宙人が地球に降り立つ日が来るとは思えないが。

「地球外文明は存在しない」というのは実に悲観的な説。科学者の中にもこの説を取る人がいる。もしもこの説に「神以外は」という条件を入れるなら、キリスト教原理主義者にも信じやすい説となろう。なにしろ聖書には宇宙人や地球外文明のことなんて書いてないからなあ。

ところで、この著者の「フェルミ・パラドックス」への解決は、なんと(3)。銀河の中でも生命が存在できる区域が限られること、地球型の惑星が存在する確率が最近の研究では意外に低いこと、そして生命の発生する確率も低いこと。これらの条件を「フェルミ推定」にならって勘案し、最後に残る条件は、その生命が知性を持ち、外宇宙と交信できるだけの科学を発達させる確率。

地球では5000億の種が分化しながら、言語を使用できるのは「ヒト」しかいないと著者は述べる。この最後の条件で100万まで絞り込まれた惑星系に残る可能性がゼロとなるのだと。もちろん、これは著者の推論に過ぎない。しかし、もしも本当に、この宇宙で知性を持った存在が我々だけなのだと証明されたなら、星空を見上げるたび我々は胸がつぶれるほどの寂寞感を感じることになるだろう。本当に我々だけなのだろうか。