MADE IN JAPAN! 過去ログ

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1999/01/04 カジノと北京ダック / 日本に帰ってきたわたし / Go Niners!

昨日の夜は、夕方5時半にThe Vines Resortを出て、Burswood Hotelに。ここには南半球最大と言われるカジノがあって、24時間営業なのだけど、大して時間もなかったのでざっとブラックジャックのテーブルやスロットマシンを眺めて歩くだけ。

ちなみにこのカジノでは、外貨の両替もやってるのだけど、昨日の時点で、1オーストラリアドルが71円と、普通の銀行で両替するよりずっとレートがいい。私が空港で両替した時は81円だったから。

まあ、どんどん安くオーストラリアドルを売って、それをしっかりカジノでスッて貰えればいいという戦略なんだな。普通の旅行者でも、空港や銀行で両替するくらいなら、このカジノに足を運んで両替したほうがずっと得だ。もっともそのまま立ち去らずに、スッカラカンになっては、交換レートがいいもへったくれもないのだけど。


ちょろっとカジノを見物した後、ホテル内のチャイニーズレストランで食事。ここは北京ダックが有名だというので4人でそれを頼む。ダックの肉のほうをどうするかも、何種類かのメニューから選べるところがなかなか本格的だ。

スターターは魚の浮き袋のスープ。東オーストラリア産のカルベネ・サルビヨンを飲みながら待つうちに、トレイに載って北京ダック登場。女性の担当が、細いナイフとフォークを使って、みるみるうちに見事にローストされたダックの香ばしい皮だけをシャカシャカと切り分けて行く。なかなか熟練のワザだ。

ダックを包む皮は、どうもタマゴが入っているようで、ちょっとクレープのような感じだが、これはこれでなかなか結構。こういう風に皮だけを食べるように焼き上げるのには、とんでもなく手間がかかるらしいが、この店はこれが売り物なので、予約無しで行っても食べられるのが便利なところだ。

残ったダックの肉は中国野菜とヌードルとであっさりと炒めてもらったが、これも淡白でとても美味しい。ついでに頼んだマッド・クラブという、この辺で取れるらしいダンジネスに似たカニのチリソース炒めもなかなかの一品で、堪能した。西オーストラリアは、中国系や東南アジア系の新移民が多いので、アメリカ西海岸同様、チャイニーズレストランがなかなか充実している。


両親と妹に車で空港まで送ってもらって、ここでお別れ。4年前にここに来た時は、サンフランシスコから、はるばるロスアンジェルス、シドニーと乗り継いで来たので、入国も出国もシドニー。

ここパースの国際線のターミナルには来たことがなかったけれど、チェックインして入ってみると、待合ロビーは免税店だらけ。店員にも日本人が沢山いて、帰国する日本人が最後まで群がってるんですな。ま、免税店はいずこも同じと言えばそのとおりなんだけど。

普通なら免税店には用は無いのだけど、今回は、オーストラリア産のワインを3本購入。まだ搭乗には時間があるし、タバコでも一服するかと周りを見ると、待合ロビーは禁煙のサインだらけだ。そういえば、パースのレストランも禁煙のところが多かったよなあ。

しかし、ちゃんと探すと、あるところにはあるもんで、バーでビールを頼んでから聞くと、その横の待合室では吸えると教えてくれた。もっともドアに何の表示も無いせいか、総勢20人は入れるかと思う部屋はガラガラ。

カンタス79便の搭乗を待ちながら、ノートブック広げて、ざっと日記の下書きなど。時間が来て搭乗すると、さすがにこの時期では客は日本人だらけ。エコノミーの座席は狭いし、窓の無い席だし、機内食を断って座席をリクライニングさせたままにしてると、後ろのオバハンに怒られたりと、まあロクな事がなかったけど、なんとか朝9時に成田に到着。

車を預けた駐車場までシャトルバスで移動して、車をピックアップして東関道を走るが、道はまだ空いている。首都高から富士山が見えるところなんかが、まだ正月の名残だよなあ。11時には部屋に到着。いや〜、長旅だった。風呂に入ってのんびり。飛行機に10時間も乗るとやはり疲れるが、東西の移動より南北の移動のほうが時差がないだけ、ちょっとはマシな気がする。

さて、休みも終わって、明日からはまた仕事。これからSKYPerfecTVで、NFLプレイオフ、49ers対パッカーズ戦を観戦して気分よく寝る予定。そう、我慢が出来なくて、インターネットで結果を検索してしまったのだけど、5連敗中だったパッカーズに我らが49ersはなんとか勝利したんですな。わはは。

これで、次にファルコンズを撃破して、バイキングス・カージナルス戦の勝者も撃破すれば、NFCのチャンピオンとしてスーパーボウルに出場。そこでAFCチャンピオンを倒せば、スーパーボウル制覇! まあ、そういう算段なんですけどねえ。


1999/01/03 オーストラリア特別編 最終日 日本に出発
今日ものんびり起床。コーヒー飲んでゆったりした後、10時12分スタートで、前回と同じ、The Vines Lakes Courseでゴルフ。母親と妹はやらないというので、近所に住む日本人、Mさんのところの高校生の息子を誘っている。

彼は、親父さんがこっちで日本料理屋を開店するために移住した関係で、日本から2年前に来たのだけど、自宅横のメンバーコースで、ひところは毎日のようにゴルフをしていたらしい。こういうリゾートタイプの分譲地は、アメリカでもそうだけど、家を買ったら、その中のメンバーシップのゴルフコースはだいたいタダだから、学校終わった夕方からプルカートを自分で引いて回れば、お金なんてかからない。いい暮らしだなあ。

キャリアは浅くとも、回数を回りこんだだけあって、なかなかスイングもサマになっている。

で、全然サマになってないのはこっちのほうで、2日とも47で回った前半で、なんと62も叩いて沈没。パースは今日も雲ひとつない青空で、気持ちのいい陽光が降り注いでいるが、湿度は低く、風が吹いて実に気分爽快。ただし、ゴルフのスコアを除けば。はは。

それでも後半は、53とある程度持ちなおしたが、やはりゴルフってのは難しい。日暮れて道遠し。迷いの森にさまよいこんだような気分ですな。ホールアウト後にクラブハウスのバーでビールを飲みながら、(一緒に回った高校生はコーヒーしか飲んでませんので念のため)色々とオーストラリア生活のことなど聞く。やはり親父さんの仕事とは言え、高校生になってから海外に移住するのはなにかと大変なようだ。近くの家まで送って、今後の健闘を祈ってお別れ。

家に帰ってきたのが3時半。シャワーを浴びて撤収の荷造り。真夏のオーストラリアで1週間も過ごすと、すっかり体が夏になじんでしまったけど、帰ったら日本は寒いだろうなあ。仕事のトラブルは、あれ以降連絡取れてないが、大丈夫だっただろうか。などと、色々と心配が頭をよぎるようになってきた。まあ、しかし、なるようにしかならないし、すべては明後日出社してからのことにして、またまたキッチンでビールなんぞを一杯。

しかし、気候が乾燥しているせいか、こっちではビールがいくらでも入るね。やはり体から蒸発している水分も多いのだろうなあ。 で、これから家族で食事に行って、私だけが、パース空港夜10時10分発のカンタスに乗って一路成田へ向かう予定。成田着は4日の朝9時。強行軍といえば強行軍だけど、時差が一時間しかないから、ずっと寝てゆけば、たいして疲れないはず。いきなり冬に戻るってのが体に悪そうだが、こればかりは徐々に慣らすわけにも行かないし。

ということで、一応、これにてオーストラリア特別編は打ち止め。なんとか、最後の日まで書いたなんて、ヨーロッパの時もハワイの時もなかったから、なかなか感慨深いものがある。よくやった。自分で自分を誉めてやりたい。ま、酔狂なだけか。わはは。

まあ、あわただしい更新で、色々と書き漏らしたこともあるので、時間があれば、日本に帰ってから、大幅に加筆訂正して、デジタルカメラの写真付で再編集でもするカ。<とはいえ、今までの経緯から、これはやらない可能性が大だよなあ。


1999/01/02 オーストラリア特別編 7日目 1999年最初の更新

ひどい2日酔いで目覚める。 やっぱり昨日は飲みすぎだよなあ。ひがな一日ボンヤリして過ごす。正月もいつのまにか2日。明日の夜にはこっちを出発するので、今夜がオーストラリア最後の夜だ。

結局、グローバル・ローミングは動かないまま、日記巡りも日記の更新はずっと日本のAPにアクセスしていた。なんかまったく愚かとしかいいようがないよなあ。はは。

昨日と一昨日の日記を書いて、これが1999年最初の日記更新。明日は朝からゴルフして、晩飯に北京ダック食って、夜10時10分パース発成田行きのカンタスに乗って日本に帰国。日本に帰ったら、カレーと味噌ラーメンが食いたい。しかし、5日から出社かと思うとなんだかうんざりだなあ。


1999/01/01 オーストラリア特別編 6日目 Two Rocks

朝は、日本から持ってきた材料で作った雑煮など食す。黒豆とクリのキントンも。日本酒に屠蘇散入れて飲むと、南半球は夏とは言え、どことなくお正月気分。午前中はゴロゴロしていたが、パースから40キロくらい北のTwo Rocksに海を見に行くことに。

車で40分ばかり走ると、明るいエメラルドグリーンのインド洋が見渡すかぎり広がっている海岸に出る。インド洋の色ってのは、太平洋とも大西洋とも違う気がする。もっとも澄み切った空からの強い陽光の下で見るせいもあるかも知れないが。デジタルカメラで写真を撮ったのだけど、アップできないのが残念。この長く広がる伸びた砂浜には、ほとんど人影が無い。この町から先は、地図を見ても道もないパースのはずれだということもあるけど、やっぱり西オーストラリアは人口密度が低いんだなあ、とつくづく感心する。

帰り道に、「Chicken Treat」というファストフードの店でチキン・バーガーなど食する。こっちでは、フレンチ・フライの事をChipsって言うらしい。「Fish and Chips」なんて言うから、やっぱり英国流なんだろうか。つい習慣で「フレンチ・フライ」って言うと店のおねえちゃんに妙な顔をされてしまった。まあ、確かになんでポテト・フライをフレンチフライって言うのかたずねられると、分からんのだけど。

オーストラリアにもアメリカファストフードの進出は著しくて、ケンタッキーもマクドナルドもあるのだけど、バーガーキングだけは「ハングリー・ジャック」と言う名前でチェインを展開しているようだ。商標の問題でもあったのだろうか。

帰宅してから、シャンペン飲んでビール飲んで日本酒飲んで大いに新年の初酔い。ちょっと飲みすぎた。


1998/12/31 オーストラリア特別編 5日目 またゴルフするわたし

今日は8時52分スタートで、家の横にあるThe Vines Resort Lakes コースでゴルフ。先日いきなり8を叩いたスタートホールをパーで切りぬけて、ボギー、パーとなかなか好調な発ちあがり。前半は47。ところが、後半は、進行の遅い組がいるのか、やたらに前が詰まっており、全ホールで前の組を待つ状態。太陽は照り付けてくるし、待ち疲れもあって、調子を落として52。結局トータルで99と、3日前とまったく同じスコアで終了。

ホールアウト後にクラブハウスで飲む生ビールとソーセージが最高に美味い。ちょっと飲みすぎてフラフラになって帰宅。午後からは日がかげってきて涼しくなったので、気持ちよく昼寝。

晩飯は近くのチャイニーズに全員で食べに行く。日本メシが無くても、中華料理があれば、世界どこでも生きて行けるよなあ。中国人は偉大だ。


夜には、両親がこっちで色々と世話になった近所の日本人家族が、衛星放送の紅白歌合戦を見にくるというので、途中からいっしょにお付き合いして見物。

美川憲一も、小林幸子も、だんだんと予定調和して、すっかりマンネリだよなあ。もっと新しい趣向が無い物か。和田アキ子は並の男より声量があるだけに、歌は凄かった。そうそう、レコード大賞は誰だったという話題になったが、NHKの放送だし、途中から見たので、そういう話題が出ずに、さっぱり分からず。まあ、分かったとしても、どうせすぐに忘れてしまうんだけど、分からないとなると知りたいものなんだよなあ。

行く年来る年を見てると、やっぱりちょっとお正月気分になる。パースは1時間時差があるので、日本で午前零時になっても、まだ11時なんだけど。神戸の実家だと、零時になると、神戸港に停泊中の船が一斉に汽笛を鳴らす。やはりあれを聞かないと、お正月って気がしないなあ。それにしても、「行く年、来る年」も、これでもか、これでもかとばかり気の滅入る暗い話題ばかり放送してたね。もうちょっと明るい話題を選んだほうが新年気分になるような気もするけど。


1998/12/30 オーストラリア特別編 4日目 接続まだ不調 / オーストラリア英語 / アンクル・ビンセント 

さすがにこっちに来て毎日飲んでると疲れがくるもんで、今日は外出せず、休養日にして家でゴロゴロ。4年前に来た時に、パース近郊の観光スポットはほとんど回ってしまったので、もうあまり見るべきものも残ってないし、のんびりと過ごす予定。

そう言えば、4年前に来た時は、朝夕に、家の前で野生のカンガルーをよく見かけたもんだけど、今回はあんまり出くわさない。ゴルフコースでも、一番ホールで何匹が見かけた程度だったし。全体としては、野生のカンガルーは増えすぎていて間引きしてるらしいから、住んでる場所の分布が変わったのだろうか。


インターネット接続のほうは相変わらず不調。パースのアクセスポイントに接続すると、メールは送受信できるものの、Webページのブラウズが出来ない。しかたなしに、国際電話でわざわざ日本にアクセスして、日記をアップしたり、最小限の日記巡りをしたりしてるのだけど、やはり不便このうえない。国際回線だと品質の問題があるのか、接続速度も、ひどい時は、9600bpsなんかになってしまう。

そういえば、メールは取れるけど、Webに接続できないと書いたから、わざわざ自分の日記をメール配信してくれたやさしい人がいて、これには感激しましたね。いつも読んでる日記が全部メールで届いたら、日本のアクセスポイントに国際電話かける必要なくて便利なんだけど、こっちの勝手な都合だもんなあ。

日本にアクセスするよりは、パース近辺の都市にアクセスしたほうがずっと安いだろうと、妹に近くの都市を聞いてみるが、西オーストラリア州ではパースだけが都会で、あとは大きな都市なんてないんだと言う。なるほど。それにしても不便だよなあ。


午後はぼんやりとローカルTVをあちこち見る。アメリカから輸入した「リッキー・レイク・ショー」なんてのもやってるのだけど、オーストラリア製作の番組は、どうも英語が聞きづらい。 「アイ」と 「エイ」の発音が米語と逆転しているのは有名だけど、実際に聞いてみると、やはり時折混乱するんだなあ。

「regulation」は「レギュライション」、「take a look at」 は「タイク ア ルックアット」 「Today is Sunday」 は「トゥダィ イズ サンダイ」。頭では理解していても、実際に聞くと、ところどころ発音に混乱して文脈を失ってしまう。発音全般も、イギリスの影響ではっきりとした発音なんだけど、変に米語に慣れていると返って聞き取りづらい。こっちの人間に言わすと、米語の発音のほうがずっと聞き取りづらいというらしいけど。


結局、一日中のんびり過ごした後で、夕食は、ノースブリッジのイタリアン・レストランへ。「Uncle Vincent's」と言う、イタリアで言うバールのような気楽な店だが、この店の名物の「Chilli Mussel」が最高に美味い。山盛りのムール貝をチリソースでソテーしたものが、金属の大きなボウルに山盛りに入ってテーブルにドカンと置かれる。これを全員でシェアして食べるのだが、新鮮な貝とガーリックの効いたホットなトマトソースが実に合う。

フライド・カラマリも新鮮だし、アンチョビーとガーリックのピザもなかなかいける。ムール貝を食べ尽くした後に、プレイン・スパゲッティを頼んで、チリソースのたっぶり残ったボウルにドカンと 入れて残りのソースを食べ尽くすのも、実に結構。ビールも頼んで、一人あたり、日本円で2000円もしないんだから、こっちの物価は本当に安いよなあ。食事の後は、近くのカフェでエスプレッソを頼んでちょっと休憩。


そうそう、すっかり忘れていたが、NFLの結果もフォローしなければならないことを思い出して、nfl.comにアクセス。49ersは最後の試合に勝利して、プレイオフ第一戦は、本拠地の3COMパークにグリーンベイを迎えて行うことに。敵地でやるよりはずっと有利なはず。なかなかよろしい。はは。しかし、問題は、この数年、グリーンベイには5連敗してるという情けない成績なのだけど、最近のグリーンベイはずいぶんと調子を落としているようなので、十分勝つチャンスはあるんじゃないだろうか。スーパーまでは行けないにしても、緒戦は勝ってほしいもんだ。


1998/12/29 オーストラリア特別編 3日目 飲茶、そして伊勢海老の夜

と言う訳で、今日は朝からガンガンと頭痛がする二日酔いの朝だったのだが、昼前にはなんとか小康状態を取り戻す。昼飯は、Perthの市内、Northbridge に出て、飲茶(ヤムチャ)の店に。 

昔々は、白豪主義(White Austrarilan Policy)で知られたオーストラリアも、今ではアジアからの移民が大勢いて、Perthの街にもチャイニーズレストランが一杯だ。 フカヒレや海老やら豚肉の蒸したり揚げたりしたシューマイ。中華チマキ、イカの揚げ物、福建チャーハンなどなど、ざんざん食べて、4人で50ドルちょい。オーストラリアドルは80円くらいだから、日本円でひとり1000円くらいか。

味のほうも、中国人の客がほとんどだし、実に本格的なもんだ。4年前に来た時にも安さには感動したけど、変わってないなあ。アメリカの西海岸の中華料理でも、飲茶をやってるところはあったけど、ここまで安くはない。もっとも店に入ると、オバハンが中国語でしか話し掛けてこないのは困り物ではあるのだけど。こっちが英語でしゃべってるんだから、中国語が分からん事くらい悟れっつーの。


昼飯の後は、Perth市内をブラブラして、Duty Freeをひやかしたり、特産の純毛のセーターを買ったりして過ごす。4年前には、市内の名税店で高いスコッチを買って、そのままオーストラリアで飲み尽くしてから出国したら、カリフォルニアのアパートまで、「貴殿が輸出免税で購入された商品については、出国時に税関で輸出申告がなされてなかったが、どうしたのでしょうか」、と購入したPerthのDuty Free Shopからメールが来た事を思い出した。

日本でもそうだけど、外国人が帰国の航空券を持ってる場合は、輸出免税で酒やら電化製品を購入できるが、それを内国で消費するのは、やはり法律違反なんですな。実際にチェックしてるとは知らなかった。全数チェックしてるとは思えないので、サンプリングでチェックしてるのだろうか。


その後、なんだかんだあって、夕食は、Perthからちょっと南の Fremantleに行くことに。日本で、「活伊勢海老料理の中納言」なんて店があるが、あの伊勢海老は、Cray Fish と言って、この辺の特産物で、西オーストラリアから日本に大量に輸出してるらしい。(もっともバブル崩壊後はずいぶんと値崩れしてるそうなんだけど) で、その「中納言」が、ここにも伊勢海老料理の店を出している。

伊勢海老のサラダ、刺身、塩焼き、独特のソースで焼き上げたオーブン焼き、味噌汁、寿司。まあ、4年前に、一度、コースで伊勢海老づくしを食べた時には、もう一生伊勢海老なんていらんわ、と思ったもんだけど、4年経つと、まあ、また食べてもいいような気になるんだなあ、これが。

刺身は確かに、なんともいえぬ甘味があって、美味い。味噌汁も、オーブン焼きも大変に結構。しかし、やっぱり伊勢海老ばかり出てくると、飽きるのは事実。もう、伊勢海老は、自分の今後の人生において必要ないなあ、って感じがしてくる。

という訳で、今日も一日終わり。なんだか食べる話ばっかりだ。


1998/12/28 オーストラリア特別編 2日目 ゴルフするわたし

今日は家の横にあるVines Resort Lakes Courseで4年ぶりに家族ゴルフなど。9時スタートでのんびり回る。最初のパー4で、いきなり8つも叩いて意気消沈するも、その後でパーを 3つ取って、47と盛り返すが、後半はさすがに疲れてきたか、52と後退「。借り物のクラブだし、トータルで100切ったからよしとするか。

このコースでは、1月の終わりに、ハイネケン・クラッシックというヨーロッパツアーが開催されて、バーナード・ランガーや、グラハム・マーシュやらが出場するんだそうだ。天気は雲ひとつない快晴。日差しが強いので、腕なんかはシャワーを浴びると痛いほど日焼けしてしまった。

ホールアウトしてからクラブハウスのバーで飲むビールがまたウマイ。 気温は高いとはいえ、湿気がないので、ちょうどアメリカ西海岸でのゴルフを思い出してなんとなく懐かしい。

夜は近所に住んでる日本人が家に遊びに来て、ウイスキー飲んで酩酊。日本の留守電をチェックすると、会社から仕事のトラブルの連絡が入っていたが、どうしようもないんだなあ。向こうでうまいこと処理してくれるのを祈るばかり。朝はさすがに二日酔い。こっちに来て飲んでばかりだから、さすがに疲れてきた。

グローバル・ローミングのほうは、色々試したのだが、ログインは可能で、メールも取れるが、ブラウザではWebページが開けない。このページをアップするのも、日本のAPに国際電話で接続してる訳で、おちおち日記巡りもしてられないんだなあ。参った。


1998/12/27 グローバルローミングに悪戦苦闘のわたし

昨日はどこまで書いたっけ、と思って日記を読み返したけど、考えてみれば、今朝更新したんだから、まだ1日経ってない訳だ。ともあれ、オーストラリア一日目は、昼寝して、ちょっと散歩して、ゴルフの練習にいって、グータラしてるうちに終わり。まあ、観光に来たわけではないので、別にそれでいいのだけど。

今いるところはパースの街からちょっと北にあるVinesというリゾート。まあ、ゴルフ場の周りに家が立ってるような場所なので、実にのんびりできるのはいいのだけど、インターネット接続が不調なんですなあ。DTIのグローバル・ローミングサービスを申し込んで、パースのアクセスポイントにかけるのだが、エラーばかり出て接続できない。

最初は、モデムの発信すらしなかったので、あわやハードの故障かと思ったけど、モデムの設定を、「トーンを確認せずダイヤルする」に修正すると一応ダイヤルするようになった。電話の受話器を取って発信前の音を聞いてみると、こっちの電話は、日本のような、「ツー」という連続音が鳴ってるのではなくて、「ププププ」という断続音が鳴ってるんですな。回線の不調かと思って妹に聞いてみると、それが普通の音なんだという。まあ、そのせいで、発信音が認識できなかったんではないだろうか。

で、そこを修正して、一応、ダイヤルできるようにはなったのだが、今度はサーバーの設定がおかしいとかなんとかでて接続できない。色々と試行錯誤して今度はログオンしたのだが、Netscapeを開いても、どこのサイトにも接続できない。日本のアクセスポイントに国際電話をかけると大丈夫なのだが、どうも不可思議だ。一度だけ、ログオンした後でメールが取れたのだけど、その後すぐに動かなくなって、またどこにも接続できない。どうもよくわからんなあ。

という訳で、オーストラリア特別編、第2日目は、あんまり書けないのです。日記巡りも駄目ですな。もっともさっき日本に接続して、ちょっとだけ日記猿人にもアクセスしたんだけど、さすがに電話代を考えて早々に切り上げ。とりあえず、これは日本に接続してアップして、もう一度Perthのアクセスポイントを試して見るか。しかし難儀だなあ。AOLを使ったらよかったかも知れない。

こちらは日中は雲ひとつない快晴で、暑いのだけど、湿度が低いので昼間でも木陰に入るとひんやりしていい気分。ちょっとアメリカ西海岸を思わせる陽気。数値的には、アメリカ西海岸よりも、夏の気温は高いが、湿度は更に低いということのよう。ビールがうまいんですな。昼間から飲んでても、どんどん汗になって発散してゆくような感じですな。夜は、また満天の星空がとても美しい。明日は朝からゴルフの予定。

そうそう、せっかくだからデジタルカメラの画像でもちりばめるか、と思ってたのだが、フラッシュメモリーをPCに読みこむPCカードを忘れてきてしまった。なんか忘れたような気がしてたんだよなあ。


1998/12/26 オーストラリア特別編 第1日

ふと眼が覚めると、知らない場所で寝ていた。一瞬びっくりしたが、よく考えてみると、昨夜は池川さんのところで行われてたホーム・パーティーに誘われて、大酒を飲んで、結局泊めてもらったのだった。はは。

そうそう、「池川さん」って、日記猿人管理者の池川さんのことです。一応、念のため

池川さんの知り合いの女性はみんな美人だし、作ってくれた料理はうまいし、酒はうまいし。実に最高の夜でしたな。これで2日酔いさえなかったら、人生言うことないんだけど、お酒の神様は、前の晩に時間を前借して楽しんだ分を、きっちり翌日に清算されることになっている。飲み逃げは許さない。貸し売り無し。厳しい神様なのである。名前はバッカスって言うらしいけどね。


で、なんというか、やはりひどい二日酔いだ。実は、酒を飲んだ翌日に後悔するってのは、アル中への始めの第一歩なんだそうで、アル中度合いを判定するテストなんかなには、必ず「お酒を飲んだ翌日に後悔したことがある」なんて質問が含まれているんだね。

だから、飲んだ翌日に後悔してはいけない。「我が事において後悔せず」、の姿勢が大事なんだなあ。とはいえ、どうしても飲みすぎた次の日は後悔して、「あっ、また後悔してしまった」と、二重に後悔するわけで。これは精神衛生上もよくない。(最初から後悔するほど飲むな、って有力なツッコミが予想されるところではあるが、今日は先を急ぐのでこの話題はまた後日ということにしよう)

で、本来ならばもっと寝て休みたいところではあるのだが、今日の夕方にはオーストラリアに出発なので、そろそろ厚木に一旦帰らなくてはならない。面倒だなあ。(海外に行く前日に大酒飲んで他人の家に泊まる奴があるか、という有力なツッコミが予想されるところではあるが、今日は先を急ぐので、この話題はまた後日ということにしよう。カット&ペーストでどんどん行数が稼げるなあ))


で、新宿経由ロマンスカーで、はるばる厚木まで戻る。いったい私は何をやってるんでしょうか。駅前の駐車場に停めっぱなしの車を出すのに7100円。夜の間もカチカチと料金を計算してくれて実にご苦労なこった。

部屋に戻って、酒を抜くべく、熱い風呂に入って一休み。色々と持ってゆくものがあったような気もするが、根気も無くなってきたので、適当に着替えをカバンに詰め込んで荷造り終了。ま、何かあったらあっちで買うか。何か忘れた物があるような気分で部屋を出る。車で湾岸経由で成田に向かう。 カーナビはどうしても用賀から首都高に乗りたいらしく、そっちのルートばかり表示するのが困り物だ。どうもまだ酔いが残っているのか、心なしか運転がフラフラするなあ。

そろそろ正月休みの出国ラッシュで、成田への道は混雑するかと思っていたけど、ぜんぜん大丈夫。早く着きすぎた。予約してたパーキングサービスに車を預けてシャトルバスでターミナルへ。時間つぶしに第2ターミナル内の「寿司田」で、ちょっと寿司をつまみながらビールを一杯。ついでに日本酒も一本。うん、ちょっと調子が戻ってきたような気がするぞ。ってまあ我ながら懲りないよなあ。

指定の時間にカウンタに行ってチェックインを済ませて帰りの航空券も受け取り。 7時半から搭乗が始まって、飛行機は定刻どおりPerthに向けて出発。 機内で今、これを書いている。と思ったら、飛行機はもうパースに到着。着陸体制に入ってから、やたらに揺れたのは、あれは何だったんだろうか。パースは早朝の5時5分。ほぼ定刻通りの到着だった。

という訳で、オーストラリアの事は一切書いてないままに、オーストラリア特別編の初回は終わるのであった。