MADE IN JAPAN! 過去ログ

MIJ Archivesへ戻る。
MADE IN JAPAN MAINに戻る

2007/05/17 画像で振り返るMoMA(NY近代美術館)編

昨日の続きで、今度は画像でふりかえるMoMA(NY近代美術館)編を。

その前に、「メトロポリタン美術館おまけ編」を2つばかり。


日本美術のコーナーにあり。15世紀、室町時代の信楽焼だそうだが、実に立派な壺。いったいどんな縁で、はるばると太平洋を超え、ここまでたどり着いたのか。面白いなあ。


中世ヨーロッパの甲冑がずいぶん展示されてたのだが、ヘルメットとしてはこれが一番気に入った。ま、勿論、気に入ったからどうという訳でもないんだが。被っても、スリットから結構外が見えるのだろう。

MoMA(NY近代美術館)編

さて、ここから先はMoMAで見た物の中からピックアップして。実はメトロポリタンでもう頭がだいぶ麻痺していたので、結構見逃してるものが多い。これまたいつか再訪しなければ。


The Sleeping Gypsyは、アンリ・ルソーの有名な絵。妹が昔、卒論の題材にルソーを選んだのだが、実家に帰った時、一緒に酒飲みながらルソーの画集を見て、あれこれ議論したことを思い出した。もうずいぶん昔の話だが、この絵は今でもはっきり覚えている。そうか、MoMAにあったのか。不思議な静寂と神秘に満ちた絵。これを書いた人物が、生前まったく画家として評価されずに亡くなったとは、今となればなんだか信じられないような気さえするのだが。


The Starry Night 「星月夜」。ゴッホの内面が表れているというより、彼の眼には、本当にこんな風に夜明け前の空が見えたのだろうと、なんとなくそんな納得がゆく絵。右上方に輝く月が、なんとも素晴らしい。糸杉の左側部分は、絵具が足らなかったか、まだ生のキャンバス地が見えている。



HOPE II は、クリムトの絵。自らの腹部に視線を落とす妊婦のその下には髑髏を配し、更に下には、なぜか悲嘆にくれたような同じ人物の横顔が複数。クリムトはやはり興味深い。


MoMaは、近年、自然光を取り入れた大胆な設計で生まれ変わったそうなのだが、確かにコーナーから普通に見えるミッドタウンのアパートメントなどが面白いアクセントに。芸術に倦んだら、NYの街を眺めることができるという趣向。



人間の背より大きい物体がフェルト地で作成されている。別にこれに限らず、おきまりの題名が「Untitled(無題)」。やはり、よく見ても、「はあ、そうですか」というだけで、よく分からんよなあ、現代美術は。形はなんだか、相撲の力士がつける「さがり」に似ている、そんな、おバカな感想しかわいてこないのであった。


2007/05/16 画像で振り返るメトロポリタン美術館〜剣と切断された男の首を持った女

シカゴ美術館も同様だが、メトロポリタン美術館も、館内での個人的な写真の撮影は自由。もっともフラッシュ使用は禁止。時折カメラの設定を間違えたか光らせて叱られている人あり。もっとも、特別展などで展示されている他美術館からの貸出品については所有権の関係か、撮影禁止になっている。

メトロポリタン美術館のサイトは大変に充実しており、所蔵品の画像も多数公開され検索も可能。記憶に残った作品と、その作者や題名をデジタルカメラで保存しておくと、後であれこれ検索して説明など再度読めて大変便利。当日取った画像から、いくつかピックアップして思いつくがままの感想など。


「Hagar in the Wilderness」 は、旧約「創世記」の物語。ユダヤの世祖アブラハムの子供イシュマエルを生んだ側女ハガルは、正妻に子供が生まれると荒野に追放される。しかしその荒野に彼らを救うべく守護天使が現れるのだ。イスラム教徒にもポピュラーな伝説。飛来する天使が遠景ながらやたらリアルなのが印象的。昔の人は、「天が割れ、下りてくる天使」をヨルダン川のほとりで本当にこんな風に見たのだろうか。山田正紀の「神狩り2 リッパー」冒頭に出てくる「天使の飛行」を思い出した。


Salome
新約聖書にあるエピソード。ヘロデ王の面前で舞った舞踏の褒美を訊かれ、預言者ヨハネの首を所望した女サロメ。ヨハネはこのためヘロデ王に殺される。ヨハネの首と一緒に描かれることが多いが、この絵は、首の代わりにお盆に載った剣が、この主人公がサロメであることを暗示している。くったくのなさそうに見える微笑の奥に潜む魔性。そう思って眺めると、この女性の目が蛇のごとく見えてくるから不思議だ。


剣と切断された男の首を持った女。中世の宗教画には、様々な記号論的約束があり、最後の晩餐であれば、ユダは金袋を持っているし、使徒ヨハネはキリストに寄り添う。磔刑のキリストは右胸に刺された傷がある。女がお盆に載った男の首と共に描かれれば、それは上の絵のようにサロメ。では、この絵の女性は誰か。そもそも宗教画としてのこのモチーフに、最初に気づいたのは、シカゴ美術館でこの絵を見て、いったい何なのかと不思議に思った時。一見、召使を連れた貴婦人だが、よく見ると手には剣を持ち、そして画面右下は、切断された男の首だ。そして、同じシカゴにあるこちらも明らかに同じ主題を描いている。

女性の名前から調べて分かったのは、これは、旧約聖書外典「Book of Judith」に出てくる「Judith(ユディト)」であること。ネブカドネザル王が差し向けた軍勢に攻められるユダヤの都市に住んでいたユダヤの女性。彼女は従者と一緒に敗北寸前の街を出て、敵の指揮官の元に出かける。そして、宴席の後眠りこけた指揮官ハロフェルネスの首を切り落とし、ユダヤ王国を救ったという伝説。シカゴにも2枚、メトロポリタンでもこの絵のほかに、もうひとつこのユディトの絵を発見。昔から画家の心を捉えてきた宗教的モチーフなのだ。


The Ascension of Christとは、いわゆる「キリストの昇天」。この16世紀の画家も、そんな霊的な出来事を、いったいどうやって描こうか、結構悩んだのではなかろうか。まあ、しかし最終的に選んだのが、この、まるでインドの行者が空中浮揚するような構図というのが、なんというか、まあ、微笑ましくも記憶に残るのであった。


The Adoration of the Magiとの題名は、いわゆる「東方三博士の礼拝」。キリストの生誕を夜空に現れた星で知り、アジアから祝福に来たという伝説。これまた中世の宗教画では実にポピュラーな題材。Hieronymus Boschは他の絵を見ても、魔術的ギミックにあふれた実に奇妙な画家で、丹念に描きこんだ細部は、おそらく何らかのメタファーと思われるが、実に不思議なものばかり。左の塔の中が焼け残ったような窓。壁から顔を出す男。背景には、動物の骨やら、いろんなポーズの男や女たちが実に丹念に描きこまれている。それはすでに失われた、一種の呪術的背景を持っているのではないだろうか。ボッシュの絵は、いつまで見ても見飽きない。部屋に1枚欲しいもんである。はは。

なんだか宗教画ばかり選んでしまったが、このような絵を読み解くための、「西洋美術解読事典」(河出書房新社)を日本に置いてきてしまったのが痛恨の極み。Amazonで検索したらずいぶん納期がかかる。しかしやはり手元に置きたくなったので再度発注。届くのは6月中旬くらいか。日本でも大きな本屋なら、美術書の棚にはよく見かけたが。

さらにあれこれ美術関係の新刊を見ていたら、伊集院静の新刊、「美の旅人 フランスへ」(小学館)が目に留まり早速発注。グレコ、ゴヤ、ダリ、ベラスケス、ピカソ。綺羅星のような美の巨匠達に脈々と流れるスペインの熱き血を、現地取材の紀行と共に解き明かしてゆく前作、「美の旅人」は実に面白かった。。今回の本は、そのフランス紀行バージョン。ただ、写真満載とはいえ、結構な値段するもんである。この印税も、みんな著者の博打に使われて消えてしまうのだと考えると、諸行無常をつくづく感じるが。まあ、金は天下の周り物か。




2007/05/14 MoMA(ニューヨーク近代美術館)

土曜日のNY訪問記の続きを。メトロポリタン美術館は、いくら時間があっても足りないのだが、とりあえず3時過ぎに切り上げて、MoMA(ニューヨーク近代美術館)に移動。古代のエジプトやギリシャ、ローマなどの美術を見る目的でなければ、近代に焦点を絞った美術館だけあって、ずっとコンパクトにまとまっている。印象派以降の絵画だけ見ても優れた美術館。


入ってすぐの吹き抜けは2階にあたるのだが、この中心に据えられた「ブロークン・オベリスク」という有名なオブジェがまた印象的。

時間があまりないので、とりあえず5階、4階の絵画を中心に。ゴッホ、ゴーギャン、スーラ、ルソー、ピカソなど有名な作品が次々と。これも凄い。

中世の宗教画も好きだし、ルネッサンス美術も結構。印象派も好きな絵が多い。Symbolist:象徴主義に分類される絵も大好きだ。しかし、いわゆる「現代美術」と呼ばれる作品になると途端に興味が失せる。ただ真っ黒に塗っただけに見えるキャンバス。あるいはアルファベットが切り貼りされただけに見える絵。キャンバスの中心から針金が飛び出したり、毛糸の塊を貼り付けたような絵。そして、決まって題名は「無題」。この手の作品には、どうも忌避する気持ちが先に立って、面白さをイマイチ理解することができない。分かりやすいものしか分からないというのは、実にお恥ずかしい話なのであるが。

このMoMAは、近代に限った作品が、だいたい時系列に置いてある。思い立って、個人的にどのあたりの作家から受け入れがたくなるかを考えつつ、作品の制作年代と作者の生年を参考にしつつ絵画を見て歩く。だいたい判明したのは、ルソーまでは大丈夫。ピカソも半分くらいは大丈夫なんだが、ミロからは、全然好きではなくなるということ。もちろんダリのような例外もあるのだが。自分の嗜好の境界線に対する面白い発見であった。



余談であるが、このMoMAは自然光を随所に取り入れた明るい美術館。それはよいのだが、時間と光線の具合が偶然にも悪かったか、このルソーの「The Dream」という大作については、絵の前にはめたガラスが、ちょうどプラズマTVの映り込みのようにテカテカ光って大いに興を削ぐ。これだけはちょっとよろしくなかった。


4階5階で大半の時間を費やしたのだが、まだ少々時間に余裕あり。6階の「Jeff Wall特別展」も回ってみる。Jeff Wallはカナダの写真家。明るいバックライトがついた大きなスライド写真の展示を特徴とする。偶然のショットではなく、映画のショットのように丹念に造り込んだ画面。都市に生きる不安、孤独、矛盾、そして空虚すら切り取って目の前に提示するかのようなショット。「The Flooded Grave」はインパクトあり、この前に立ったアメリカ人はみな一瞬言葉を無くし、そして連れとヒソヒソと話を始める。この特別展は、6月30日からは、Art Institute of Chicagoに巡回するらしいから、また再会するチャンスがあるだろう。

夜は「寿司田」こんどは「6丁目店」。日本酒を飲みつつ、朝からあまりにもたくさんの物を見た脳を解きほぐして。マディソン店と同じ系列であるが、素材や種、サービスなど、結構違うもんである。



2007/05/14 NY メトロポリタン美術館

先週の金曜日は年休取ってNYまで。今迄一度も行ったことのないメトロポリタン美術館とMoMA(NY近代美術館)を訪問するのが目的。

金曜午後に早くついて、まずMoMAを回ろうかと思っていたのだが、LGA行きのフライトがちょっと遅れてしまった。LGAは悪天候にも弱いのだが、前のフライトが遅れると、将棋倒しに次々とフライトが遅れる。

ホテルは、Unitedのサイトで適当に予約したWaldorf Astoria。眺めたことはあるが入るのは初めて。チェックインの後で、MoMAに行ってみたが、「Target Free Friday Nights」で午後4時から8時まで入場がタダになるということで、とんでもない長蛇の列。これを待って入る気はしないよなあ。土曜の夕方に来ることにして断念。夜は、「寿司田 マディソン店」にて一杯飲んで寿司など。

土曜の朝は、セントラル・パークをぶらぶらと散歩がてらメトロポリタン美術館まで。走る人、自転車に乗る人、スケートする人など様々。Chicago郊外のForest Preserveでも時折見かけるのだが、赤ん坊を乗せたカートを押してランニングして行く女性がいる。日本であんまり見かけない光景だが、メリケン人には本当に元気者が多いな。

9時40分くらいに到着したが、もうロビーにはかなりの人。アドミッション・カウンタでお金を払うと、赤い小さな金属のメダルをくれる。これを胸ポケットか襟に挟んで入場券代わり。そういえば、昔はChicago美術館もこの方式だったのだが、いつのまにか普通のチケットに替わってしまった。

全米では最大だし、世界でも最大級の美術館であることは知っていたが、想像を超える広さ。収蔵品の範囲も、絵画、彫刻、写真、工芸品など多岐に渡り、古代エジプトから近代まで、あらゆる時代を網羅したおよそ300万点の美術品を所蔵。国立ではなく、寄付や寄贈で持っている純然たる私立の美術館だというのだから、アメリカに集積した富の莫大さが分かる。

収蔵品については、ほとんど予備知識を仕入れていない。どこにどんな作品があるかはあまり気にせず、とりあえず一通り回ることが目的。アメリカに住んでるのだから再訪の機会は何度でもある。今回は、とりあえず美術館の全体像とボリュームを把握しようという計画。

それにしても、実に広い。昼過ぎにカフェでビール飲んで休憩したが、約5時間館内を歩き続けて、ようやく一巡。それも、さほど興味のないアメリカン・アートやら建築、室内装飾などスキップしてざっと見て回っての話。丹念に見て回ると確かに何日もかかる。しかし、どこに何があるかの位置関係はだいたい把握できた。

古代世界の美術については、今年に新装開店したギリシャ彫刻ゾーンは実に広々として、自然光を取り入れた展示が素晴らしい。エジプト関係の収蔵品も半端な数ではない。しかし、全体に、大英博物館のロゼッタ・ストーンやシュメールの出土品、ルーブル美術館のハムラビ法典や「サモトラケのニケ」などと比較して、真の「人類の至宝」と呼ぶべきホームランが無い印象なんだなあ。もっとも、そんな古代の至宝は、略奪やらドサクサに紛れて持って帰るなど、無茶な事が可能だった帝国主義の時代、あちこち植民地を持って好き勝手できたイギリスやフランスにして、はじめて獲得可能だったのに違いないのだが。

ざっと回っただけでも語るべきことはたくさんある。そして、まだ語るほどもゆっくり見れなかった美術品のほうが遥かに多いのも事実。全ての時代を網羅して、あらゆる地域、文明、分野に渡る作品を収集するという壮大さには脱帽。ヨーロッパの絵画、印象派だけに限るなら、Chicago美術館も十分に太刀打ちできるのだが。

そのEuropean Paintingsのゾーンにしても、あまりにも多くの部屋が連なっており、フラフラと見ていると自分がどこにいるのか分からなくなる。ゴッホの「Cypresses(糸杉)」も見れてよかった。そして、ルノアールの大作の、この泰然自若、堂々たるオプティミズムと豊穣はどうだ。眉に皺よせて芸術を語る人には、時として忌避されるかもしれない一種のポピュラリズムかもしれないが、それにしても素晴らしい。しかし、その名作すらも、この時間と空間を越えて形成された果てしない「美の迷宮」の中では、まったくのOne of themに過ぎないのであるが。

絵画だけでも頭がクラクラするくらい展示されてある。そんな中で、ひとつの絵が目に留まった。窓からの光線の具合や、壁にかかった地図のモティーフ、黒白の方眼になった床、ほう、これはフェルメールそっくりだな。似てる絵もあるもんだと思って横の解説パネルを見ると、「Johannes Vermeer」。「Woman with a Lute」という、フェルメールご本尊の絵であった。ははは。

その横にも2つ並んで本物が。何時間も回ってるとやはり、こちらの頭が麻痺してしまう。後でネットで調べるに、メトロポリタンにはフェルメールが5点あるそうである。しかし、この3つだけしか気がつかなかったな。まあ、また再訪しないと。駆け足ではあるが、どこか気になった作品は写真撮ったので、またおいおいと感想でも書きたい。