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1999/08/14 キューブリック監督の遺作、「アイズ・ワイド・シャット」を見た

今日はのんびり起床。10時過ぎから、ネットに接続してちょっと日記読みなど。外はまだ、昨日からの雨が振り続いている。しかし、今日、明日がお盆帰省のUターンラッシュということは、今日は都心は空いてるのではないだろうか。

と、ふと思いついて、銀座へ、「アイズ・ワイド・シャット」を見に行くことにした。地下鉄はいつもより空いている印象だが、ソニービル地下には、アメリカ生まれのなんとかいうヌイグルミを買う為に人が大勢並んでいる。腹ごしらえに東芝ビル地下のラーメン屋に行くと、11時半なのに、すでに何人も待っている。どうも、それほど人出が少ないようでもなさそうだな。

しかたなしに、ちょっと本屋をブラブラ。「三億円事件」(市橋文哉/新潮社)購入。まだ時間があるのだが、とりあえず映画館に行くと、切符売り場には、この大雨にもかかわらず、人がウジャウジャいる。もっともよく見ると、列の大半は「ファントム・メナス」のようだ。しかし、メガホンでの係員の案内を聞くと、「アイズ・ワイド・シャット」も結構混雑している模様。面倒なので指定席を購入。早めに入って、ロビーで「三億円事件」を読み進める。

しばらくして、開演時間になると、指定席のほうにもどんどん人が入ってきて、席は8割がたが埋まる。一階席のほうもほぼ満員だ。お盆とはいえ、ずいぶんと人がいるなあ。余談だが、話題作が目白押しの夏の映画にあって、スタジオジブリの新作が、「となりの山田くん」ってのは、やる気がないのか、あえてどうでもいい作品をぶつけたのか。


キューブリックの斬新なショットの連続は、常に新鮮な映像的体験だ。遺作となったこの映画も、期待を裏切らない出来に仕上がっている。他人のバスルームにいきなり引きずり込まれたようなショッキングな冒頭のシーンから、華麗なパーティーの流れるような流麗で光り輝くショットの数々。すべての場面が、いかにもキューブリックらしい。

二コール・キッドマンは、とても怜悧な美人だが、油断ならない邪悪そうな感じがする。そこがまた奇妙な魅力でもあるのだが、冒頭のシーンから画面に緊張感が絶えないのは、やはり彼女の存在感だ。

キューブリックは、この映画を、かなり原作に忠実に作っているが、原作での妻の役割は、どことなく凡庸だ。(まあ、これは文庫本の翻訳自体が凡庸なせいもあるが) 映画のほうでは、キッドマンによって、この妻の存在感が、ずっとストーリーに重みを与えている。

妻に対する奇妙な嫉妬と妄想、街で出会った売春婦とのやり取りに緊張感を与えているのは、クルーズの演技というより、キッドマンの存在感である。


原作は、まだ馬車が走っていたオーストリア、ウィーンの話だが、キューブリックは、実に巧みに、原作のヨーロッパの階級社会を、アメリカの貧富の格差が生み出す階級差に置き換えて、話の舞台をアメリカに設定している。

トム・クルーズ扮する主人公の医者は、成功した金持ちで、セントラルパークウエストの豪華なアパートメントに住み、暮らしに何不自由ないように見えるが、丹念に観察するならば、アメリカの上流の下層といったところか。夫婦で出席するパーティーや、秘密パーティーで垣間見えるように、本当に金や権力を持って好き勝手できる階級は、またもっと上にいる。

映画の冒頭から出てくる、自分達より上流の金持ちの放逸や誘惑や腐敗の匂いが、この夫妻の関係に、一種の緊張感を生み出し、幽かな不協和音を奏でているとも言える。

そういう面では、この映画は、サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」 を思い起こさせる。

どちらも舞台が、クリスマス直前のニューヨークだというところもあるが、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」が、たとえば、垂直軸に年齢を取って、少年から青年になろうとする主人公のホールデンが、少し上の大人の世界を垣間見た一夜の冒険だとすると、「アイズ・ワイド・シャット」は、垂直軸に財力を置いて、上流下層に属するクルーズ扮する主人公が、自分より上の、とてつもない金を持つアメリカ上流階級を垣間見る、一夜の冒険だ。

もっとも、「アイズ」の主人公が見る世界は、悪徳と堕落と腐敗を華やかさで彩った、とてつもない金と、それにむらがる女達と、放逸なセックスの世界であって、ホールデンの見た世界よりもずっとオトナ版という違いはある。

しかし、その一夜の奇妙な夢から覚めた時、主人公は、嫉妬や妄想や不実が仮面の裏に塗りこめられた、自らの普段の生活に戻って行かなくてはならない。

二コール・キッドマンの映画最後の一言は、破綻の危険な香りを感じながら、再び繰り返される貞淑の仮面劇の始まりを告げる掛け声のように聞こえる。そう、それはちょうど、映画監督が、俳優に向かって演技開始の掛け声をかけるかのようだ。 「アクション!」と。

キューブリック監督は、今年3月に亡くなったから、これは彼の最後の作品となる。