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1999/03/08 スタンリー・キューブリック監督追悼

映画監督のスタンリー・キューブリックが、日曜日にロンドンの自宅で亡くなったと今朝のYahooのニュースで読んだ。享年70才。実に残念だ。

遺作となった「Eyes Wide Shut」は、彼のいつもの映画の例にもれず、クランクアップが遅れに遅れていたが、一応の最終版が先週完成しており、アメリカでは予定通り7月から公開する計画だという。

アメリカで大成功を収めた「博士の異常な愛情(Dr. Strangelove)」の公開が1964年、それから1987年までの23年間で、「2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)」「時計じかけのオレンジ(A Clockwork Orange)」「バリー・リンドン(Barry Lyndon)」「シャイニング(The Shining)」「フルメタル・ジャケット(Full Metal Jacket)」と5本しか製作していないのだから、非常に寡作な監督だった。前作からでも、すでに10年以上。もう少し早く撮ってくれればもっと作品を残せたのだろうが、原作の選定から脚本、キャスト、撮影、すべてにこだわる完全主義者の監督らしい。

「フルメタル・ジャケット」は、ベトナム戦争を題材にした映画だが、海外公開の字幕にもこだわり、各国語版の字幕を再度英語に翻訳させて自らチェック。日本字幕界の大御所、戸田奈津子の字幕セリフが、あまりにもきれい事すぎて原意を伝えてないというのでお払い箱にして、日本語字幕を全部作り直させたのは有名な話だ。


冷徹なまでに美しく澄んだ映像。多彩なキャメラワーク。それはモノクロの「博士の異常な愛情」/の頃から変わらない。アメリカ生まれにも関わらず、常にイギリスでの撮影にこだわった監督だったが、独特の落ち着いた色合いの画面は、やはりヨーロッパでしか出せない不思議な雰囲気があった。

始めて映画館でキューブリックの作品を見たのは、「時計仕掛けのオレンジ」。もちろん封切り時ではなく、神戸のビッグ映劇(まだあるのかねえ)でキューブリック特集をやってた時だったが、続いて「2001年」を見て、すっかりキューブリックにはまってしまった。もともとかなり古い作品が多いから、劇場でリアルタイムに見たのは、「シャイニング」と「フルメタル・ジャケット」の2本しかないな、考えて見れば。

「シャイニング」は、ジャック・ニコルソンのキャスティングがちょっと原作には似つかわしくなく、原作者スティーブン・キングが酷評した事もあってか(もっとも、後にキングはこの評価を訂正しているのだが)商業的には失敗に終わった。しかし、原作とはまた違った、映像でしか表現できない独特の恐怖を描いた好きな映画だった。特殊な手持ちキャメラによるなめらかなショット、見えるはずの無い物が見える恐怖。

「Eye Wide Shut」は公開されたら必ず見に行かなくてはならないが、もうこれ以上キューブリックの監督作品が見れないというのは実に寂しいものだ。もっとも彼が撮った名作は、これからもずっと多くの人の記憶に残り続けるだろう。ご本人のご冥福をお祈りしたい。今夜はこれから追悼でビデオを引っ張り出して見る事にするか。



「2001年」は別格として、個人的に一番好きなのは「博士の異常な愛情/または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」だろうか。ピーター・セラーズの一人三役は、あらかじめ知らされてないと同じ俳優とは思えないほどの名演。冷戦時代における軍拡競争の狂気、あっけない事から世界が崩壊に直面する核時代の恐怖を戯画したこの映画は、今でも決して古びていない。

そうそう、核戦争の危機でアメリカ軍統合作戦本部に呼ばれたロシア大使がクレムリンの書記長にホットラインで情勢報告をするシーンがあった。書記長と話した大使は、電話を代わる前にアメリカ大統領に一言警告する。「気を付けて、書記長は酔っ払ってます」。

今から30年以上も前の映画だが、ロシアは全然変ってないなあ。それにしてもエリツィンも核ミサイルのボタン預ってんだから酒をひかえろよな! <って、いきなりこんなところで怒っても意味ないか。