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2006/02/05 「ロスト・イン・トランスレーション」

本日はのんびり起床。外はずいぶんと寒くておっくうだが、やはり身体を動かしたくて昼前にランニング。苦痛になるほどにはペース上げず、拍動や呼吸、足腰への負荷を感じ、身体と会話しながら7キロ、35分。久々に軽い汗をかくと、なかなか気持ちがよい。しかし、早くもう少し暖かくならんかね。

以前購入して途中まで見た「ロスト・イン・トランスレーション」DVDを最後まで。

CMを撮るために来日したハリウッドのスターと、ファッション・キャメラマンの夫に同行して来日したがホテルに一人で取り残されたアメリカ人女性が、言葉の通じない心細い異国で出会い、気持ちが通じ合う。大作ではないが、フランシス・フォード・コッポラ監督の娘、ソフィア・コッポラが製作・監督してアカデミー脚本賞を獲得した作品。

原題の「Lost In Translation」とは、「翻訳の過程で失われるもの」といったほどの意味。ビル・マーレー扮するハリウッド俳優が2百万ドルのギャラで日本のウィスキーCMに出演する。そのCM撮影シーンで、延々といわゆるギョーカイ風にしゃべりちらす日本人CM監督の言葉を女性通訳は一言二言しか翻訳しない。"Is that all he said? It seemed like he said quite a bit more than that.(彼が言ったのそれだけ? なんかもっとしゃべってた気が)"とビル・マーレーが不安げに尋ね、何をすればよいのか途方にくれるシーンこそ、この題名のニュアンスをよく伝えている。

そういえば、私自身も、日本のお役人とアメリカ人弁護士軍団の間で通訳してた時、同じようなことをアメリカ人から言われたなあ、と思い出して苦笑い。日本人も情緒的でムダな発言が多いから、逐語的に全て翻訳できないのも事実。もっとも、あの監督の発言程度なら私であっても、逐語的になら通訳できる。問題は、会議などで連発される、いったい何言いたいのかサッパリ分からん日本人のオッサン発言なんだよなあ。

ところであのCM監督役の日本人は、セリフ棒読みの「大根」。あれが本職の俳優だったとしたら、まさに国辱ものの驚きである。おそらく、ソフィア・コッポラも日本語セリフの巧拙が分からないから、演出のしようがなかったのでは。これまた現実の「Lost In Translation」の一例か。

アメリカ人監督が撮ると、日本の街も少しばかり違ってスクリーンに映る。全ての映像が実に美しい。モンタージュされたような東京の煌く夜、そこを主人公達が潜り抜けるシーンに流れる音楽も、現実から遊離したような幻想を感じさせ、よく画面にマッチして印象的。

来日経験のあるアメリカ人なら、「あったあった、こんな事」と大笑いして見る部分もあるだろう。日本人とて海外に行けば言葉の問題で途方にくれることもある。母国語である英語しかしゃべれないアメリカ白人が、言葉の通じない国、日本で抱く心細さや疎外感はもちろん理解できる。しかし、そこになんとなくアジアに対する蔑視や、少しばかり鼻につくアメリカ人の尊大さを感じざるをえないのは、私自身がビル・マーレーをあんまり好きではないからだろうか。例えば、イタリアやフランスを舞台にして似た物語を撮影するなら、そこにはアメリカ人のヨーロッパ文化に対するinferiority complexが投影され、おそらく同じテイストの映画にはなるまいとは思うのだが。

もっとも、異邦での男女の奇妙な心の交流を描いて心に残る映画。言葉の通じない日本で偶然巡りあったアメリカ人同士のぎこちない好意、ホテルのエレベータでのキス、最後の別れなど、ソフィア・コッポラは、女性監督らしい細かい演出にも素晴らしい冴えを見せている。スカーレット・ヨハンソンは、自分の居場所に疑問を抱く若い女性を演じて実に印象的。最後の場面で手を振るビル・マーレーは、確かに観客から好意を持たれる人物として成立していた。大作ではないが印象的な佳作。

アメリカからきたクルーが東京での撮影でドタバタするDVD所載のメイキング・ビデオは、「Lost in Translation」実話版という感じで、これまたなかなか面白かった。