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2003/01/21 この力士の引退

貴乃花引退。

記者会見での、「すがすがしい気持ち」、「心の底から納得」。これは本心だろう。なにかまるで、憑き物が落ちたかのような爽やかな笑顔。この力士は正直で、仕切の間にも、心の動きがすぐに顔に出た。TV桟敷で見てても、刻々と表情が変わった。負ける時は、ほとんど仕切の時の顔を見てればわかったと私は思っている。

しかし、全盛期のこの力士は強かった。大関になってから、得意でない突き押しにこだわって、何番も星を落とした場所がある。当座の勝ち負けではなく、明らかに自らの相撲の幅を広げるために、何かを自分に課していたのだ。

最年少記録を次々に塗り替えた土俵上での輝かしい実績。反面、この力士を巡る土俵外の環境は、あまりにも波乱万丈で、苛酷でもあった。

有名芸能人との婚約破棄、年上アナウンサとのデキちゃった婚、ウサンクサイ整体師による洗脳騒動、兄弟の絶縁、花田家の崩壊。サラブレッドとして若くしてスターとなったゆえの、恐ろしいまでの土俵外の陥穽。しかし、わずか15歳にして勝負の世界に飛び込み、相撲界だけで生きてきた無骨な男に、実社会でもっとうまく立ちまわれと諭せる人間がいるだろうか。

この力士は、まだ若い。しかし、30歳にして身体はボロボロ。相撲界の八百長疑惑や、貴乃花は八百長をしなかったという噂を無条件で信じる訳にはゆかないが、細く長く相撲を取りつづける如才なさとは無縁の男だった。たとえ長い休場をしたにしても。

私は、この力士をアメリカで一度だけ見かけたことがある。93年6月のアメリカ、サンノゼ場所終了後のサンフランシスコ空港。次の巡業地、ハワイに向かう力士達は、浴衣姿で思い思いにグループで固まり、リラックスして冗談話に興じている。当時、大関だったこの力士だけは、同僚力士の輪には加わらない。彼は誰とも口を聞かず、すべての他の力士達が搭乗し、飛行機が出発寸前となるまで、遠く離れたスナックバーで時間をつぶしていたのである。

この力士は、おそらく、あまりにも真面目すぎた。そして引退のこの日。彼は多分、「求道者としての孤高の孤独」にも自分自身で幕を引いたのである。勝負に生きた15年。30歳のこの力士にとって、それはすでに生きてきた人生の半分だ。