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1999/08/30 「キャメラも芝居するんヤ!」 すごいカメラマンがいた話 

昨日の夕方は、大変な土砂降りになって、駅からの帰り道で難儀した。夜は世界陸上の女子マラソンをTV見物。古館伊知朗は、いつも通り、自分の妙チクリンな表現にこだわって、やたら饒舌にしゃべりまくる。それは結構だが、30キロ地点で先頭集団が突然ばらけはじめた勝負どころでも、予定稿らしい余計な事ばかりしゃべって、さっぱりスポーツ中継の体をなしてないのである。

のんびりしたプロレスの様式美の世界ならあれでよかったのだろうが、刻一刻変わる真剣勝負の中継は、もうできなくなってるのかもしれないなあ。今回の世界陸上の中継は、全般にアナウンサーがコーフンして盛り上げようとするほど、スポーツそのものの感動が薄らいでいったような感じがする。


そうそう、昨日の日記を書いた時に書き忘れたので追記。土曜日の夜、NHKで、「キャメラも芝居するんや・映画カメラマン・宮川一夫の世界」を見たが、たいへん印象深いドキュメンタリーだった。

宮川一夫は、「羅生門」(黒沢明監督)「雨月物語」(溝口健二監督)など、日本映画の数々の傑作を撮影した名カメラマンで、白黒映画時代に、陰影にこだわった斬新な映像を撮りつづけ、世界的にも評価が高い。日本映画の創世期に、現像見習いからたたき上げた伝説のカメラマンだったが、この8月に91歳で亡くなった。生涯で撮影した映画は134本。

昨日の放送は、本人の生存中、1993年に放送された番組の再放送だ。

このドキュメンタリーを見ると、カメラマンの努力や才能が、いかに傑作と呼ばれる映画に貢献しているかがはっきりと分かる。「無法松の一生」のラスト、3分におよぶフラッシュバックのシーンは、宮川が詳細なコマごとの撮影手順を考えて、一部を撮影しては、コマ数を勘定してフィルムを巻き戻し、また2重露光して撮影するという手順を繰り返して1年がかりで撮影した。今なら、複数のフィルムを現像処理で重ね合わせるのは簡単なことだが、当時では、とても考えられないような執念で撮影した3分のショットだった。

炎に金粉を投入して撮ったすさまじい金閣炎上のシーン。黒澤明の「羅生門」の雨には、雨を目立たせるために墨汁を混ぜていたのだという。宮川はいつでも撮影に墨汁を持ち運び、周囲をくすませて、中心の対象を際立たせるために、あちこちに噴霧器で墨汁をかけていたらしい。

「羅生門」の、森の中の木漏れ日の美しさを出すために、宮川は、レフ板ではなく、森の中に鏡を持ちこんで、木漏れ日を直接反射させる。現実ではありえないコントラストが逆に映画の中では、見事な森の中を表現している。

昼寝をする三船敏郎の顔にかかる葉の影は、実際の木の影ではない。本物の木の影は、何メートルも上にあるために、鮮明な陰影を落とさない。あの顔に映る影は、カメラのフレームのほんのすぐ上に人間が小枝を支えて、ユラユラ動かして撮影したのだ。

映画のフレームからはずれた現実世界では、まったくのウソであることが、撮影された映画のフレームの中では現実よりもリアルに輝く。たったひとつの究極のショット、入念に計算された虚構の中に、現実を超えた「映画としての現実」をフィルムに写し取ろうと、撮影技術を追い求め続けた男達のあくなき執念の物語は、実に感動的ですらある。

番組最後の本人へのインタビューも印象的だ。今でも何か撮りたいものがあるかとの問いに、「あるよ、だけどそんなことしゃべったらおしまいだ。言わない。だけど、今でもまだ仕事がしたいですよ」」と語った時点で宮川は85歳を過ぎていた。映画の撮影一筋にささげた一生の陰影が凝縮された、実に含蓄のあるラストだった。

NHKの特集というのは、やはり民放にはできない丁寧な作りだ。民放でやるならば、大抵のドキュメンタリーは採算が合わない。こんな地味なのはスポンサーがつかないから、アイドルタレントと俳優とお笑い芸人を入れて、クイズ形式にして番組にしようということになるだろう。設問のたびにキャスターと回答者のカケアイで引っ張る。CMも入るし、20分の内容さえあれば、1時間の番組が一丁上がりである。

粗製濫造を絵に描いたような番組が雨後のタケノコのようにある中で、こういう良心的な番組を制作するNHKの存在意義はやはり貴重だという気がする。何の特集でも、特にインタビューが素晴らしい。ずいぶん長い時間カメラを回して、厳選されたショットだけを使ってるのがわかる。このへんが、時間に追われて下請けまかせの民放と根本的に違うところだなあ。

そういうわけで、やはり受信料は払わないといけない。それが本日の結論である。<それのどこが結論なんやって。