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1999/05/31 吉野家を熱く語る

昼飯時に、ズボンのポケットからひょろっと「吉野家ファン倶楽部」とかいう小さなパンフレットが出てきた。どうも先日、昼飯を食べに立ち寄った吉牛で貰ったらしい。

別にファンではないのだが、暇だったので読んでみると、牛丼の吉野家は、なんと創業100周年なんだそうだ。もともとは築地の市場の小さな店から始まったそうだが、今や全国津々浦々に店舗がある一大外食チェインにのし上がったというわけですな。

もっとも吉野家も、ずっと右肩上がりの成長をとげた訳ではなく、私が学生の頃に、一度倒産している。

当時はあまりにも店舗を急速に展開しすぎた為か、バイトや店員の質が悪く、店長の売上横領や材料横流しなどの不正が絶えなかったと聞いた記憶がある。そういえば、高校の同級生の兄貴が吉牛の店長で、売上金を持ち逃げして、刺客に追われてるなんて話があったなあ。懐かしい。<懐かしがる話とちがうやろって。

今でこそ女性のバイト店員も多いけど、当時は吉野家のバイトや店長と言えば、だいたいパンチパーマに剃りこみ入れたようなうっとおしい奴が多かった。神戸は元町の場外馬券売り場近くの吉牛なんて、客のほうもうさんくさい奴が多かったなあ。ってまあそれは余談だけど。

倒産後に、どこかの傘下に入って再建しだしてから、ようやく天井からぶら下げたカウンタで牛丼が何杯売れたか記録するようになったのを覚えてるな。各店舗にも、抜打ちで会計監査員が回ってくるようになったようだ。

まあ、それまでがいかにいい加減だったかということで、だいたい倒産前までは、レジすら打ってなかったものね。あの当時の店員の質からすると、あれではまるで金を盗んで下さいと言わんばかりだ。

暴走族が店長やってる店では、友達が来たらいつでもタダなんて店もあったらしい。牛丼屋だけあって、まさにドンブリ勘定そのもの。しかし、どこの店舗も流行ってたのに、そういうドンブリ勘定で会社が傾くってのも、桁違いの豪快なズサンさだ。経営管理なんて考えは、元からきれいさっぱり持ち合わせて無い会社だったんだな。ま、潔いといえば潔い。倒産しては元も子もないが。

しかし、さすがに大手の傘下に入った効果があったのか、最近ではすっかり店も様変わりして、POSシステムも入ってるし、店員には女性も多い。そういえば、相模大野の店の店長は女性だったな。店員の教育マニュアルなんてのもちゃんと整備されてるらしい。変われば変わるもんだ。

業績も順調で、吉野家のホームページで見ると、昨年度決算は経常利益で122億円。前年度比較で、9.3%の増益なんだそうだ。考えてみると、うちの会社より経常利益が多いじゃないの。たかが牛丼とあなどってはいかんなあ。

カリフォルニアに店舗を展開する「ヨシノヤウエスト」も好調らしい。そういえば、西海岸にいた時は、クパティーノやサニーヴェールにあった吉野家USAによく行った。シカゴ郊外に引越したら、あっちには一軒も無くて悲しかったなあ。カリフォルニア以外にも出店して採算が合う地域はあるような気がするが、やはり材料の供給なんかの問題があるのだろうか。

もっとも、アメリカの吉野家には生卵が無い。そもそもアメリカでは生タマゴをレストランで出すのは許されてないんじゃなかったっけ。紅ショーガも、小さなビニール袋に入ったのをひとつしかくれない。ケチくさいぞ。ドンブリもなくて、スチロールの持ち帰り容器に入ったのを店で食う。実に味気ないのだが、ま、それでも無いよりはマシなんだなあ。

しかし、いったいなんで吉野家について熱く語ってるのだろうか、私は。 ははは。