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1998/06/14 我、アンダードッグを愛好す。

遅い起床。今日は一日雨が降ってるので、食事に出る以外は、BSでワールドカップの予選再放送をチェック。他に書く事もないので、今日は、サッカーの話題をウダウダと行くか。

スペイン対ナイジェリア戦は、実に見ごたえがあった。結局、無敵艦隊スペインが後半逆転されて轟沈。ナイジェリアの選手は誰をみても、柔軟性とバネと言った天性の運動能力の高さを感じる。ゴールを決めた選手が、肩をゆすってウッホウッホと練り歩く踊り(←って言うのか)も、実にアフリカの香りがして、サッカーの国際性を感じる瞬間だ。日本の選手もゴール決めたら合掌なんてすると、実に不気味で相手を威嚇できると思うけどなあ。<誰も思わんって。


しかし、いよいよアルゼンチン戦当日で、日本国内のサッカーファンも興奮の絶頂と言っていいだろうが、日本が負けるなんて言うと、すぐに眼を三角にする輩がいるのもなんだかなあ。で、そう言う人はファンと言うより、「フーリガン」と呼ぶのが正しいのではないかと愚考する次第。

近代スポーツは、ゴルフ、フットボール、テニスなど、ほとんどが英国生まれだが、基本的に英国人のスポーツ観を語る時にかかせない言葉がある。

何かと言うと「Underdog」。これは、勝負事における「敗者」とか、文字どおり「負け犬」って言う意味だけど、欧米の賭け屋(オッズメーカー)なんかでも、オッズを公開する時は、分の悪いほうをアンダードッグと称する。

イギリスのスポーツファンには、この「Underdog」好きが多い。辞書を引くと、「He always roots for the underdog」(彼はいつも勝ち目の無いほうを応援する)なんて文例が出てきますな。

この「敗者を愛好するココロ」、「敗者をも称えるココロ」と言うのは、イギリスに限らず、英語文化圏では、案外に普遍的な物のようで、これはスポーツの発展と切り離す事のできないファン心理だと思われる。スポーツを楽しくみる為の一種の知恵みたいな物と言えるだろうか。もっとも、アンダードッグ好きに賞賛してもらうには、なんでも負ければいいと言うものでは無い。敗者としての資格がおのずから求められる。


ボクシングで言えば、到底勝ち目のないチャンピオンに挑戦して、何度もダウン寸前まで追い込まれても、最終ラウンドまでパンチを繰り出して戦い続けた挑戦者。

ラグビーで言えば、もはや大きく点差が引き離されて、勝利の望みなど無い試合の後半。なおも追加トライを上げようと、ゴールラインに怒涛のように迫り来る敵に、捨て身のタックルを行う泥だらけで孤軍奮闘のフルバック。

もはや敗北は誰の目にも明らかだが、最後まで試合を捨てない闘魂ある選手のプレイを見るときに、「アンダードッグ好き」は深く心をゆさぶられる訳ですな。そうして、試合後には、敗者にも惜しみない賞賛の拍手が与えられる。こうして、単なる「強い者好き」には凡戦に過ぎない試合が、「アンダードッグが根性を見せた試合」として、長く人の心に記憶される事となる。

まあ、そんなのは当たり前だと言う人もいるかも知れないが、私の個人的見解では、これは、古来からの「日本の心」では無く、西洋からスポーツ観戦と同時に入って来た「西洋の心」であって、日本に深く根づいているとは言い難い。特に、時ならぬサッカーフィーバーに芸能マスコミまで一喜一憂している日本を見るとなあ。


英国のブックメーカーが出しているオッズを見ると、アルゼンチン戦では、当然の事ながら、日本が「Underdog」としてリストされている。クロアチア戦でもそうですな。つまり、敗北は当たり前と言うのが下馬評なんであって、勝てば、まさかの大殊勲と言っていいだろう。

そして、まあ、負けるとしても、賞賛されるべき敗者として、本当にフィールドから胸を張って去る事のできるような、記憶に残るいい試合をしてもらいたい。サッカーの本場で、試合を見ているであろう大勢の「アンダードッグ」好きの心を、ほんの少しでもゆさぶる試合ができたら、ワールドカップ初出場にしては本当に大したもんだと、私なんかは「アンダードッグ愛好家」のひとりとして思うわけですがねえ。もっとも勝つにこした事はないけどさ。

さ〜て、そろそろTV観戦でもするとしようか。