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1998/05/24 アメリカの郊外とジョン・レノンの見た夢

今朝は10時に起床。久しぶりにゴルフの打ちっぱなしに行く。どうも曇ってるので球筋が見極めにくい。そう言えば、前回も雨模様だったなあ。アメリカではシーズンになると、ほとんど毎週コースに出ていたが、日本ではあんまり行く気がしない。何万も払って、一日がかりじゃなあ。まあ、日本のゴルフバブルもどんどん崩壊しつつあって、一頃は何千万もした会員権が数十万に下落してるコースもあるそうだ。

日本のコースも、アメリカのパブリック・コースのように、キャディ無し、豪華なクラブハウスも無し、ロッカールームも無しにしたら、運営費も安いし、グリーンフィーだってもっと安くなるとはずなのだが。もっとも場所がみんな千葉や神奈川の山奥だから、交通の便はいかんともしがたい。いくら安くなっても、5時起きで行くのはなあ。


日本の場合は、都市がどんどん肥大していっても、アメリカのようなスプロール化があまり極端では無いし、企業の本社も、いつまでも都心から引っ越さない。だから、地価の高騰で住居がどんどん郊外に移って行くにも関わらず、サラリーマンは毎朝、都心に向けて民族大移動をしなければならないわけだ。全員が車でなんて通勤したら、まさにこの世の地獄が出現する事は必至だが、あれだけの大移動を支える公共交通機関に費やされているコストも、並大抵では無いだろう。

サンフランシスコ近郊やシカゴ近郊ではダウンタウンの治安が悪化して、住宅地が郊外に向かうにつれ企業の本社もどんどん郊外に出来てきている印象がある。

勿論、大都市のダウンタウンには、銀行、保険、証券などの金融業やコンサルタントや会計士事務所などの本社が目白押しに並んではいるのだが、シカゴだと、モトローラもシアーズなんかの本社は郊外にあるし、サンフランシスコ近辺では、シリコンバレーと呼ばれる一帯そのものが、そもそも、従来の都市の中心と言う概念を持たない「郊外」に等しい。ロスにしても、NYやシカゴのダウンタウンを見る目で考えると、すべてだだっぴろい郊外に色々な会社が点在していると言う印象だ。


シカゴあたりの(特に白人の住む)住宅地が、どんどんと郊外に移っていったのは、日本のように都心の地価が高騰したとは逆の事情らしい。都市中心部の黒人人口が増加するに従い、貧困層から這い上がった黒人家庭が、ダウンタウンの近辺に一軒家を買う。そうすると、あたりの地価が下がって、その近辺に黒人人口が流入する。すると、従来からそこに住んでいた白人層は、資産価値の低下や、治安の悪化、子弟の通う学校の教育水準の低下等を嫌って、もう少し遠いところに移り住む。

しばらくは、その辺は白人家庭ばかりなのだが、その内に、もう少し所得水準の上がった黒人層がその当たりに移り住んでくる。(言うまでもない事だが、彼らだって、今まで自分が住んでた場所の治安が悪くなったり、家の資産価値が下がるのは嫌なので、郊外に移り住んでくる訳なのだが)そうすると、また同じ事の繰り返しで、白人層はまた郊外に移住して行く。

まあ、こういう事を長年繰り返した結果、シカゴから40〜50キロばかり離れた、シャンバーグやアーリントンハイツ(この辺の命名がいかにもヨーロッパ風なのは、日本の新興住宅地に、「希望が丘」とか「ひばりが丘」とかの、いかにも口当たりのいい名前を不動産屋が好んでつける習慣を思わせる)より遠いところは、ほとんど白人だらけの住宅地となっているのが現状のようだ。この辺の事情は、スタッズ・ターケルの編集したインタビュー集「人種問題」なんかに詳しい。(スタッズ・ターケルはシカゴのジャーナリストで、インタビューにもシカゴ近辺の人間が多数登場する)

まあ、こうして書くと、シカゴの連中は人種差別がひどいなあ、などと考える人もいるかも知れないが、シカゴはむしろ、南北戦争では北軍で、奴隷解放のリンカーンの生地。いまだに差別がひどかった時には、自由と職を求めて南部から殺到した黒人を受け入れた土地な訳だ。映画「ミシシッピ・バーニング」でも黒人と一緒にいて殺される白人運動家はシカゴ出身だったし、実は、彼らを殺した保安官達が、捜査員に「おおかたシカゴにでも行って、今ごろはバーで一杯ひっかけてるさ」なんてうそぶくシーンなんかでも当時の事情が伺える。

そう言う意味では、根っからの人種差別主義者ではないはずのどちらかと言うと気のいいほうの中西部の白人ですら、黒人と共存できている例は少ない訳で、人種の融合とか人種のメルティング・ポットなどと言うのは、夢のまた夢と言うしかないのかも知れない。

世界中の人々がひとつに結ばれる。そういう日は果たしてくるだろうか。自由とチャンスの国、アメリカ一国ですら住んでいる場所によって如実に人種構成が違う。こういう現実を目の当たりにすると、やはり、ジョン・レノンは「Dreamer」と呼ぶべきかもなあ、とそういう嘆息が出たりもする。