MADE IN JAPAN! 過去ログ

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1997/07/26 ギルロイ、ガーリックの香り

今日はK氏の自宅に6時半集合。そこで、彼の車に便乗して、ここから、1時間ばかり南に下ったゴルフ場へでかける。101を南に下ると、なんだかずいぶんと霧が出てきた。ギルロイのアウトレットモールを通り過ぎてしばらくして東へ折れて20分程度走った小さな町にあるゴルフ場。

36ホールあってなかなかきれいなところだが、会社のクラブでめぼしいのはみんな東京からの出張者に貸し出し済みで、残ってたのはえらく古いおんぼろクラブのみ。弘法は筆を選ばずなんて言うが、私は弘法大師ではないので、道具の差が如実に出る。古いクラブはやはり重く感じるし、自分のと比較すると一番手か2番手くらい飛ばない感じがする。前半はなんとか持ったものの、後半は乱調に沈んだ。しかし、日差しは強いが、涼しい風のふく、本当にゴルフ日和。

西海岸のゴルフ場は、日本人が多くて、だいたいどこに行っても、隣のホールから「こっちにボールきませんでしたか〜」なんて日本人が顔を出すが、さすがにここまで南に下ってくると、日本人の姿はない。今日は夕方からK氏宅でバーベキューをやる事になっている。帰りの101号線にのる直前でギルロイ土産ガーリックセンターなんてところに立ち寄る。サンノゼから南に数十分のこの町は、このあたり最大のアウトレットモールとニンニクの産地として有名だ。

ちょうどこの週末は、ガーリックフェスティバルなんて催しをやってるらしい。心なしか、高速道路のあたりまでニンニクの香りがするような(笑)。やっぱり、コンテストなんかやって、ミス・ガーリックなんて選ぶのかな。ミス・ガーリックってのもちょっと語感がなあ。ま、ミスタ・ガーリックよりいいか。

このギルロイ・ガーリックは一玉が大人の拳骨くらいあるが、これを購入して、バーベキューの時にホイルにそのままつつんで蒸し食べる。玉ねぎと栗とニンニクを足して3で割ったような味。<どういう味や。サンフラン・ベイエリアの涼しい夕暮れは、ニンニクの香りとともに段々と暮れてゆくのだった。ホテルに帰ってから、またPCのセッティング。だんだん嫌になってきた。


1997/07/25 T−ZONEで日本語PC購入

今日もいい天気だが、午前中はずっと打ち合わせ。昼飯は私の後を現在引き継いでいる管理部門のマネジャーとベトナムヌードルを食べに行く。その後、2時ころからちょっと時間が空いたので、Fry's とT-ZONEを覗く。もともと自分のノートブックは4年前に購入した東芝製だが、もう老朽化が進み、前から買い替えるつもりでいた。T-ZONEのインターナショナル・コーナーを覗くと、日本仕様のWIN95J搭載のPCが何台も売られている。WIN95Jに英語版のソフトをインストールしてもほとんど問題は生じないのは実際に経験しているから、いずれ日本に持ってかえるのなら、最初から日本仕様のPCのほうがいいかもしれない。

で、いろいろ見ているうちに、本当に欲しくなって、衝動的に日本仕様のIBM ThinkPadを購入してしまった。External CD-ROMドライブもあわせて購入。なんだか、出張先でえらい散財になってしまった。まあ、支払いはカードだが。会社に戻って、これのセットアップに没頭。しかし、考えてみると、シカゴから持ってきた会社のノートブックのドライブがCD-ROMに差し替えされたままで、しかもそれが動かないのだから、必要なファイルのやりとりが全然できない。とりあえず、なんとかNetcomに接続するところまでこぎつける。マニュアル等の荷物になる付属品はこの事務所からシカゴの事務所へDHLで送付してもらう事にした。

夜はシカゴから同様に出張に来ているY君とエルカミノ通り沿いの日本料理SETOへ。冷酒を飲んでいい気分でホテルに引き上げる。その後、また新しいPCをいじっていると、何気なくインターネット接続のところをクリックしてしまった。なにやらワラワラ画面が出てきて、全然必要ないMSNは立ち上がろうとするわ、ブラウザーは勝手にMEになってしまうわ、Netcomにはつながらなくなるわで、また設定を戻すのに一苦労。OSだけでなくあれこれと余計なアプリが、隙を見ればすぐにでも立ち上がろうとするところが、マイクロソフトの商魂逞しいと言うか、えげつないところだよなあ。時間がかかって大変な迷惑。

ちょっと今朝の新聞で見た話題を追記。カリフォルニア州の法律では、酒類販売免許が2種類にあって、ビールとワイン等の醸造酒を売れる店と蒸留酒(ハードリカー)を含むすべての酒類を販売できる店とに分類されるらしい。このすべてのハードリカーを売れるほうの免許のほうが、登録料が高いようで、日本料理屋でも、ウイスキー等の蒸留酒をおいてない店が結構多い。今朝ホテルの部屋に届けられたサンノゼ・マーキュリー紙に、サンタクララ市の規制委員会が、韓国レストランのみに、醸造酒免許しかもたない場合でも、韓国伝統のハードリカー、SO-JUを販売する事を許可した、と書いてあった。

では、SO-JUとは何かいな、と言う事だが、私の勝手な推測では、「焼酎」の事じゃないだろうか。<いや、別に根拠はないんだが発音からすると。日本の焼き肉でもおなじみ真露焼酎は、こっちのコリアン料理屋にもおいてあるが、頼むと急須みたいなものに入れてもってくるところがあって不思議に思っていた。やっぱり免許なしで売ってたんだなあ。でも韓国がいいのなら、日本料理屋も日本の焼酎を免許なしでも売れるように陳情するべきかもしれない。


1997/07/25 AOLにアップする

そんな訳で、昨日は結局、日記は書いたものの、Netcomにはアップできずに終わったのだった。本日もベイ・エリアはカラっとしていい天気。昨日、サンノゼ空港でエイビスがよこしたのが、カローラ。こっちでトーラスに乗りなれていると、実にチャチな感じで、エンジン音もうるさいし、まあネオンとどっこいどっこいかな。本日は社内で、一日中会議。消耗した。

会社で、時間を見つけて、PCの具合を点検するが、どうもNetcomに接続ができない。あちこち調べるがネットワーク接続のドライバを追加しなければならない様子、しかし、何しろCD-ROMドライブが壊れているし、フロッピードライブはシカゴに置いてきたものなあ。出張先でPCがおかしくなると、もうお手上げです。

会議後、アメリカ人マネジャーを交えてイタリアンレストランで会食。ようやくホテルに戻ってきた。しかし、5月からほぼ連日のように更新してきたが、一日休んだら、かえって、何か気楽な感じになってきた。このまま来週まで、日記休むか、なんて気分になって、先ほど書いたメールにもそんな事を書いたのだけれど、考えてみると、Netcomにアップできなくとも、AOLにこのページだけアップして猿人のURLを臨時に修正すればいいじゃない、という天啓と言うか、日記廃人系のささやきが聞こえてくる。う〜む。

しかし、そこまでするのもなあ、でも、今日は日記お休みのつもりだったが、昨日せっかく書いてるし、とウダウダ内心の葛藤がありながら、やっぱりAOLにアクセスしてFTPの方法を調べたりするのだった。で、一応これをアップ。昨日分からお読み下さい。過去ログは一部おかしくなっておりますが、とりあえず臨時の日記と言う事でご容赦を。アドレスはまた、多分来週から、従来のものに戻ります。

しかし、このホテルは机と電話ジャックが離れているのでとんでもなく不便だなあ。なにしろ、バッテリも壊れているので、ACコードがないと、動作しない。机で書いてから、一度PCを落としてから、ベッド脇にもっていって再立ち上げ。いったい私は何をやってるんだろう(笑)。


1997/07/23 壊れたPC持ってシリコンバレー到着

今日も涼しい朝。午前中はまた会議。午後、自分のノートブックの設定を再度確認していたら、結構あちこちのドライバが壊れている。あれれ。システム環境設定を見ると、ブートレコードが変更されてます、なんてアラームが出ている。こんなの気が付かなかったぞ。おいおい。

東京から出張で来ている情報システムの人間を呼んできて、ウイルス検出のソフトを走らせてみると、きっちりウイルスに感染していると出る。困りますなあ。英語環境の会社のPCはすべてこっちのMISの人間が、毎日立ち上げ時に、ウイルス感染チェックを走らせるように設定しているのだが、日本人は、勝手に日本語環境にしてるので、確かにそんな風には統一されてない。

情報システムの彼によると、今、東京の本社でも、やたらウイルス感染があって、これも日本の本社からのメールじゃないかなあ、なんて言う。日本では社内で、あちこちにメール経由で飛び火しているらしい。そんな話聞いてないよ(笑)。なんでも、ワードやエクセルについて蔓延するなんて言うんだが、本当ですかね。

うちの会社から社外へのメールにもあちこち感染したのが送付されて、メールのやり取りが多い関係会社から、おたくからのメールはどうなってるんだ、と怒られたって言うんだから、うちの本社も対策がおそまつですなあ。アメリカ現地法人も同じです。はは。<笑い事じゃないって。さらに、彼は、先日うちの上司にPCの動作が遅いといわれて見たら、10匹もメモリ常駐のウイルスを飼ってたんですよ、なんて笑う。やっぱりあのオッサンが社内メールで撒き散らしたな。しかし、そう言う事は、早く日本人全員に知らせんかい!

で、一応、それを駆除して、ドライバを修復。しかし、どうもドライバ間でエラーが消えない。バッテリは動かないし、CD−ROMドライブも認識しない。Win95Jの再インストールも行ったが、あいかわらず改善なし、これはウイルスとは関係無く、やはりハードの障害なのか。あれこれアプリケーションの動作を確認している内に、なんと、今度は、プロバイダにダイヤルアップで接続できない事を発見。またこの、Win95Jのダイヤルアップネットワークが余計な事を、なんてゴタゴタやっている内に、時間は経つ、飛行機の時間も迫る。結局、自分のバックアップのPCを取りに帰るヒマもなく、しょうがないので、壊れかけの、あるいはもう壊れた(笑)PCをスーツケースに入れてオヘア空港へ。

午後7時20分、オヘア発のサンノゼ行きは満員。アップグレードのリクエストは入れておいたが、全然駄目。737はほぼ満席の状態。真横にデカいアメリカ人のオッサンが来たので、さらに不快指数アップ。オヘアは発着が激しいため、ちょっと遅れると離陸順がたちまち詰まって長く待たされる事が多いが、今回も、案の定出発が遅れる。飲み物のサービスが始まったのが8時50分頃。どうせ着くのは夜中だし、飲みながら行くかと、赤ワインを頼む。一合程度の小さなボトルが一本4ドル。満員だし、もう飲み物のサービスには来ないと踏んで、一度に2本頼んで、ちびちびと。フランス産の安物の Merlotだけれど、まあまあいける。

日本から届いた本を読んだり、食事が出たり、ウトウトしている間に飛行は順調に進み、シカゴ時間11時半にサンノゼ着。予約してあったレンタカーをピックアップして走り出したのが11時45分。サンノゼは小さな空港だし、アメリカは空港から車のアクセスがいいから、こういうところは本当に楽だ。101とローレンスの境の、Ramada Innについたのが12時。しかし、西海岸時間ではまだ10時だった事を思いだして、ホテル横の酒屋で寝酒にJack Daniel'sを一本購入。あれ、ここは、Gentleman Jackなんて置いてないな。

やっぱり仕事の後で3000キロ移動するのはこたえる。ホテルはとてもボロいところなので、データポートのある電話なんて絶対無いのは分かってたが、電話機のモジュラージャックが外れないようになっている。で、線を辿ってゆくと、壁にもうひとつフォンジャックを発見。じゃあ、こっちにつなぐかとスーツケースを捜すと、いつも持ってるはずの電話のケーブル忘れてた。(-_-)← ずくなし日記でおなじみ、小さな怒りのマーク。

そういう訳で、本日はただ、ハードディスクに日記を落としたのみ。プロバイダへの接続もこの腐れPCでは明日も多分困難か。まあ、5月から連日更新してたから、ちょっとくらい日記お休みもいいか。<だったらなんでこんなの書いてるんだ。<そうでした(笑)。