MADE IN JAPAN! 過去ログ

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1997/06/16 自分の子どもがアメリカ人になってゆく

くもり空だが、昨日の夕方から、ちょっと湿度が上がってきたような気がする。昨日は5時起きだったが、夜は夜で、あちこち日記巡りをしていたので、寝たのは1時近く。ちょっと眠くて能率が上がらない。もっとも、仕事のほうも、やらなければいけない事は、色々あるのだが、どれも今日中にって訳じゃない。はい、「明日できる事を今日やるな」 をモットーに、入社以来14年間、仕事してまいりました。

こういう「後倒し主義」は、ケセラ・セラと日々を暮らすには最高なのだが、予期せぬ突発事態が発生すると、今までのサボリのツケが怒涛のように押し寄せて、当然ながら、えらい事になる。何回も、そうなりました(笑)。しかし、段々慣れてくると、まあ、結局、会社の仕事なんて、なんとかなっちゃうんですよね。日記書きこそ、明日でいいだろう、と言われると、一言もないんですが。

そういう訳で、<どういう訳だよ。仕事を終え、近くの日本料理屋へ、他の駐在員仲間と夕食に。アメリカ駐在が10年近くなる駐在員の家族の話になる。10年もいると、上の子どもは、もう中学生で、日本人学校には通わせているものの、だんだんと、アメリカ化(笑)が進んでおり、両親との会話にも英語が混ざってくるらしい。しかもその発音が、本格なので、かえって両親には聞き取り辛い。

そう言えば、以前、西海岸のすし屋のカウンタでたまたま隣り合わせた、日本人一家を思い出した。両親と息子2名の4人連れで、息子2名は、大学生か高校生くらい。両親はすし屋の職人と、色々しゃべっているが、息子2名は、全然関心がないようで、互いに英語で会話している。こちらで生まれたか、相当長い間アメリカで暮らしているようだ。母親は、息子に日本語で話かけるから、彼らも、聞くほうは日本語が分かるようだ。両親のほうが、会話に時々混ぜる英語は、お世辞にもうまいとは言えない。完全な日本育ちで、こちらに駐在で長くいるか、永住権を取ったのだろう。両親から息子達には日本語で話し掛け、息子達は英語で答える。なんだか奇妙な光景だ。

両親は、日本酒を頼んで、いやー、久しぶりのすしだ、なんてうまそうに次々注文している。息子達も、すしカウンタに座っているのだが、コーラにチキン照焼きをオーダーして、ついてきたご飯に醤油をかけて、気乗りしない様子で、突っついている。

日本料理屋で、定食についてくるご飯に、醤油をかけるのは、(最初見ると、びっくりしますが)、アメリカ人には、非常に多い食べかた。注意して観察すると、あちこちでやっている。ご飯は、我々には主食だけど、彼らには付け合わせにすぎないので、味がないと、どうも喉を通らないようだ。一度マウンテン・ヴューのカストロ通りにある回転すし屋で、アメリカ人がすしをつまみながら、別にご飯を一膳もらって、醤油を掛けて食っていましたのには、ちょっと考え込んだなあ。とまあ余談はさておき。

母親が、この中トロおいしいから食べてみなさいと、職人に頼んで、兄弟に握ってもらった。兄貴のほうは、はしで、上に乗ったネタをはがして、鼻に持っていって、ちょっとクンクンにおいを嗅ぐと、顔をしかめて、そのまま、しゃりの横に置いて、口をつけようとはしない。弟のほうは、はじめからすしには見向きもしない。

まあ、小さい頃から、どういう育てかたをしたのか知らないが、血はつながっていても、文化的には、息子達はもうアメリカ人だ。でも、いくらアメリカで生活する事を選択したとは言え、両親のほうは、今後何年住んでも、結局、アメリカ人になりきる事はできないだろう。こちらに永住を決意した人にとっては、まあ、それも、克服すべき当然の問題なのだが、いつか日本に帰る駐在員にとっては、赴任期間が長くなると、子どものアメリカ人化は、結構深刻な問題だ。日本に帰国してからの、帰国子女いじめの話はよく聞くし、アメリカで子どもだけ暮らしていく選択もあるだろうが、そうすると、一家離散ですね。生きて行く国を自分で選択できるというのも、ひとつの国際化には違いないが。