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2006/10/26 世界史の受験問題を見て、昔から考え続けている疑問

富山の高校で発覚した履修単位不足問題だが、他府県の高校でも次々に同様の必修科目不履修が発覚しているらしい。読売新聞によると249校。まだ増えるだろう。大学で必須履修科目を選択せず卒業できないのは本人の責任だろうが、学校の決めたカリキュラムに従う高校生が、必修科目不履修で卒業できないのは災難ではなかろうか。

しかし、報道読んで不思議なのは、必修科目を落としたカリキュラムを組んだ高校の中には、それは受験を意識した生徒からの要望だったと述べているところが多々ある点。最近はそんなことまで生徒の意見が通るのだろうか。なんだかずいぶん物分りがよい。昔の高校では、カリキュラムに対して生徒が要望するなんて機会なかったがなあ。要望したとて聞いてくれたとも思えない。ま、もしも生徒がそう要望したのなら、学習指導要領を守らなかった学校も悪いが、生徒側にも責任あるとも言えるだろうか。

「地理」「歴史」から2科目必須ということだが、日本の高校教育や大学受験では、ちょっと歴史を偏重しすぎではないかというのが、前々からの感想。歴史が大好きなら、大学に入ってから思う存分勉強してくれたらよいのだが、社会に出て本当に役立つのは、「日本史」や「世界史」ではなく、むしろ「倫社」「政経」の知識ではないかと昔から思っている。

ちなみに私は、共通一次試験世代だが、文系のくせに理科が好きで、社会、特に歴史は大嫌い。社会では例外的に「倫社」は好きだったのだが。当時は5教科7科目試験だったので、「物理」「生物」「倫理社会」の3教科で可能な限り得点して、社会でもう1科目選択した「世界史」は捨てるというのが当初からの戦略。「世界史」はほとんど勉強しなかったから、結局40点くらいしか取れなかった。いや、よく40点も取れたと思ったくらい。お粗末なことにこの科目では全国平均を割った。まあ、他の教科で埋め合わせてトータル830点ちょっと確保。結局、現役合格したのだから、世界史は勉強しなくとも受験は大丈夫だと自画自賛する次第ではあるのだが。

もっとも、世界史に対するオソマツな知識というのは、お恥ずかしい話。しかし、それからだいぶ人生経験も積んだし、高校生の時よりは、それなりに知識、教養も身についたのではないだろうか。世界史の知識だって知らぬ間にだいぶ蓄積されたのではないかと、本年度のセンター試験「世界史」の問題をネットで読んだ。実は、これがまたびっくり。

  • 義浄はマジャパヒト王国に立ち寄った
  • アメリゴ・ヴェスブッチは南アメリカ大陸沿岸を探検した
  • タイのラーマ5世は近代化政策を推進した
  • 清はプハラ、ヒヴァ、コーカンドの3ハン国を占領した
  • スーダンではマフディー勢力がフランス軍に抵抗した
回答の選択肢からピックアップしたのだが、ひとつとして、正しいのか間違ってるのかすら分からない。なんじゃこれという世界。大学受験後の人生において、この関連の知識はひとつも身につかなかったということだ。まあ、これらの知識無くとも、今までもちっとも困らなかったし、今後も困らないことには自信があるけどねえ。

そういえば、昔の世界史の参考書でも、フェニキアの植民都市の名前や場所やら、中国北方民族の名前やら勃興した年代やらあったよなあ。そんなこと知って人生に役立つかな。それが果たして高校生に必須の知識かな。積年の疑問が、再びふつふつとわきあがってきたのであった。ま、勉強しなかった者が偉そうに言うなと叱られれば返す言葉もないのだが、こんな歴史オタクみたいな知識を本当に必修にする必要あるのかね。世界史の受験問題を見て、昔から考え続けている疑問である。


2006/10/27 もちろんある意味の重要性は認めるが 

昨日の日記にちょっとだけ付け加えておくならば、歴史を知ることの重要性を否定している訳ではない。例えば、アメリカに住んでいて、アメリカという国の建国の成り立ちや、あるいは公民権運動などの歴史を知らずしては、アメリカを理解することはできない。私だって、住んでいる国、あるいは地域の歴史には興味があって、時折勉強したり本読んだりするのは好きだ。

しかし、例えば、中国北方民族、ウィグル、突厥、匈奴、鮮卑などを、国が興った順、あるいは地域別に示せなんてオタクな知識を、誰にでも一律に押し付けて大学受験で試す必要が何かあるだろうか。まあ、私だってモンゴル駐在にでもなったらちゃんと勉強するけどなあ。

世界史などの受験についてはもう一点、何の意味もないけれど、若い頃の苦労として、賽の河原の石積みのように、山のように覚える訓練をしてるのだという意見も考えられないでもない。まあ、意味があるという説よりも、むしろそちらのほうが理解しやすいか。もっとも何でもよいから覚えるのであれば漢文の素読か、ラテン語で詩を暗誦するなんてほうが教養としては役立つような気がするが。などと好き勝手書いたが、歴史を勉強してる人が聞いたらカンカンになって怒るだろうか。ははは。まあ、しかし大学入試の世界史の問題などは、やはり世の中に何の役にも立たない知識を問う、意味の無い愚問の山だという気がするがなあ。