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2005/07/12 「麻雀救国論」で人物を判定する

「文藝春秋」の巻頭エッセイには時折面白いものがある。今月号、東京財団会長、日下公人の「麻雀救国論」は笑った。こんな内容。

高度成長が始まる前、マレーシアの政治家が来日した時、隆盛を誇る雀荘を見て、「日本人は欧米人に負けずに昼働いた後、夜にも麻雀という知的ゲームをする。だからエライのだ」と感心した。仕事が終わって麻雀をすると、「判断力」や「決断力」という、ヒラ社員や中間管理職では普段は必要のない神経回路のバランスを回復できる。何事にも「運というものがある」という諦観も身につく。「運」と「理論」と「スピード」すべてをバランスよく要求するゲームに練達すると、筋金入りの自制心と自立心が生まれ、失敗しても「すべて自分のせい」だと悟ることもできるのだと。

ひるがえって、政府の審議会などを仕切るのは、学生時代から麻雀しなかった学者や官僚ばかり。だから、自分がプレイヤーになるのを嫌がり、理論だけが先行し、危険パイは拾わず、決断も勝負もせず、プレーの中断と問題先送りを喜ぶのだと。公務員試験にも麻雀取り入れろというお話。言われてみると、なかなか納得ゆくね。

もっとも、私自身は残念ながら麻雀はやらない。学生時代から暇があればバイトして飲み歩いていたから、あんまり覚える暇がなかった。しかし、就職した時には会社の周りにはまだ雀荘が一杯あり、上司も麻雀好きが多かった。新人時代の部課長は、週に何度も徹夜で麻雀していたが、次の日はケロっと仕事していたもんだった。考えてみると私自身がもう、あの頃の上司達と同じような年齢なのだが、徹夜で麻雀して次の日も仕事する元気なんてないよなあ。あの頃の上司達は、なんであんなに元気だったのか。実に不思議な話である。

そうそう、日下公人氏の述べるように麻雀は仕事に役立つのだろうか。私が傍観者として横で見ていた限りでは、麻雀が強いからと言って常に仕事ができるとは限らなかったが、麻雀が弱いのに好きという人は、まず例外なく仕事ができなかったような印象があるな。はは。まあ、しかし、最近は麻雀やる人も少なくなったね。