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2001/06/06 「なりすまし」には無い重み

昨日書いた日記だが、「イザヤ・ベンダサンが山本七平だったとは知らなかった」と何通かメール頂いて、これには逆に、私がびっくり。意外に知られてないもんだなあ。

もっとも、山本七平は(すでに故人だが)、最後まで「ユダヤ人と日本人」を書いたのが自分だとは認めなかった。「ユダヤ人と日本人」は、現代に生きているユダヤ人の生活についての具体的知識はさっぱりない日本人が書いた本に間違いない、と完膚なきまでに証明してみせたのは、聖書学者、浅見定雄の「にせユダヤ人と日本人」という本である。読み返そうと思ったが、引越しの時に処分したか、すでに手元に無し。残念。

そうそう、なりすましと言う事で言うと、「ここがヘンだよ日本人」とか言う番組に、アメリカ出身というふれこみで出てた、キャプテン・ジョージという男も、実はバリバリの日本人であったという話だ。確か、「噂の真相」か何かで記事になっていたが、自慢ではないが、私は最初に番組見た時に日本人だと分かった。エライ!<自慢しとるっちゅーの。

ま、ちょろっと留学くらいはしたろうが、「アメリカでは、アメリカでは」といくら連発しても、そもそもしゃべる発想が、日本人そのものだった。番組スタッフによる「仕込み」だったらしいが、もうちょっとマトモなのを出さないと。

たとえ生まれは日本人であっても、長く外国で育った人に会うと、善悪、正邪、好悪の範疇を超えて、やはりなにか本質的に違うものを感じる。まして、人種や文化的背景が違えば、どこかしらそこには実にリアルな「異質さ」を感じる。

誤解しないでもらいたいが、日本人が正しいのでもなく、むこうが正しいのでもない。ただ、なにかしら彼我の間には違いがあることが、言葉の壁を別としてもハッキリと分かる。それが異文化のリアルな重みだ。それがよいとか悪いとか言ってるのではなく。「なりすまし」外国人は、そういうリアルさがないんだなあ。