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2000/07/09 エルサレムに響くコーランの朗詠 

昨日は台風が過ぎ去って、東京は涼しい気候だったが、2日酔いの疲れで、ずっと部屋でゴロゴロ。金曜の飲みをふりかえるも、ところどころはっきりしない欠落あり。

夜にはNHKスペシャルで、「エルサレム 聖地に生きる」を見る。エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のそれぞれにとっての聖地であり、嘆きの壁、聖墳墓教会、岩のドームと、それぞれの宗教の典型的なモニュメントが同じ市内に共存しているのは壮観だ。

しかし、イエスの墓があるとされるキリスト教の聖墳墓教会の中でさえ、ミサは、ギリシャ正教、アルメニア正教、カトリックと、キリスト教内部の流派ごとに、まったく別々に執り行われているというのは、なかなか興味深い事実である。

乳と蜜の流れる地に築かれた荘厳な祭壇から、ヘブライ語やラテン語やアラビア語の祈りは、それぞれの流儀で遥か天空へと立ち登ってゆくのだが、人間の祈りを聞き届ける神様が本当にいるとしたら、宗派の正当性を巡って時には血も流す人間どもの争いを、どのようにご覧になっているだろうか。あるいは、それすらも、人間のサカシラには理解不能な神の御心なのだろうか。

余談だが、イスラムのお祈りに響く、コーランを朗詠する声というのは、いつ聞いても哀愁を帯びた切々たる泣き節で、枯れた声とあわせて、なかなか心に響くものがある。もっとも意味はさっぱり分からないのだが。

岩波文庫「コーラン」の解説によると、「コーラン」は朗詠文学であって、アラビア語で実際に朗詠されるのを聞かなければ、本当の詞的な素晴らしさは分からないのだという。琵琶法師が語る「平家物語」みたいなもんですな。コーラン朗詠のCDなんかが出てたら、ちょっと買ってみたい気もする。

まあ、その前に本来はアラビア語を勉強しないと始まらない。しかし、アラビア語を学んでも、今後の人生においてまったく使う可能性がないというのがちょっとなあ。はは。