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2000/01/10 とある就職活動の記録

さて、昨日の「報道特集」で、とある学生の就職活動の記録を放映していた。慶応の難関ゼミの代表をやってた学生が、受ける会社、受ける会社、すべて全滅という厳しいお話。何ヶ月にも渡って密着ルポしてたようだが、さすがにTV局のほうだって、ああいう結果を予想して貼りついたわけでもないだろうし、あんなに決まらないとは思わなかったのではないだろうか。密着されたほうも密着したほうも、気の毒といえば気の毒な話だ。

しかし、社会人を何年もやった目で見ると、失敗した原因は明らかだ。最初はTV局、次に広告代理店、そこがダメだったんで総合商社、そこもダメで銀行、そして証券会社と、自分がどんな職種、仕事をやりたいかをまったく考えずに、ただその業界の超有名企業を受けて、落ちたら次の業界にシフトしていってるだけなのである。

そんなもの、商社なら商社、銀行なら銀行で、そこ一本に絞って就職活動している奴がワンサカいるわけであるから、志望先を水平に移動していっては、どこへ行っても落ちつづけることになるだろう。戦線をむやみに拡大して、戦力を小出しに投入するのは、戦略的に言って一番典型的な負け戦のパターンである。旧帝国陸海軍かく戦えり。

筆記試験で何社も落ちていたが、あれは試験の結果というより、エントリーシートの志望動機の段階ですでにしてハネラレタんだろうなあ。要するに名前の通った大企業に行きたいというだけが志望動機なんだから。最後はアンダーセン・コンサルティングの試験まで受けていたが、TV局の仕事と、コンサルタント会社でやる仕事ってのは、それこそ火と水ほど違うと思うのだが。

しかし、この学生に同情するのは、別にこの学生だけでなく、大げさに言えば、日本の社会全体に、漫然と大学には行くが、将来、自分はどのような職について人生を設計するかということを真剣に考える風土がないということだ。そのくせ、いったん就職すると、まだまだ転職する機会は少なく、大卒で職を選ぶ時に、ほとんど残りの人生設計が決まってしまうようなところがある。

もっとも、就職してからも、自分のキャリアパスを考えて、転職しながらステップアップして行くのが当たり前のような社会は、いずれこの日本にも現出するだろう。アメリカで起こったことは、日本でも遅かれ早かれ必ず起こる。そういう風に企業の風土を変えて行かないと、企業そのものが生き残って行けないような時代が来るのは確実だ。

ま、しかし、哀しいかな、現段階では、受験勉強に追いまくられて大学入り、やれやれと遊んで3年経ったら、もう運命の就職活動である。はい、あなたはどんな仕事したいですか、なんて言われても、答えを持ってる学生のほうが少ないだろう。バブル期は、誰でもどこでも入社できたが、この就職氷河期に大学を卒業する学生は可哀想だ。キャリアアップするったって、どこかでまず職を見つけないことには始まらないもんなあ。

我が身を省みても、就職活動の時には、自分の将来について、とりたてて確固たる方針はなかった。ま、確固たる方針が無いのが方針であったような気がする。会社を選ぶには、あまりにも巨大な企業はよして、貿易比率が高くて財務安全性の高いところにしよう、といった事だけは漠然と考えていたけど。