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1999/09/05 「何が映画か」 世界のクロサワと宮崎駿の対談を読む 

昨日の午後はのんびり。ちょっと外出すると、外は思いのほか涼しくなっている。そろそろ街にも秋の風だなあ。夕方から、駅前の本屋で購入した、「何が映画か〜「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって〜」 (黒澤明・宮崎駿/徳間書店)を読了。

「トトロ」、「ナウシカ」の宮崎駿が日本映画の巨星、黒澤明と行った対談を本にしたもの。もともとの対談は、日本テレビで1993年に5月に放映されており、アメリカの日本ビデオ屋で借りて見た記憶がある。

映画で使う鎧カブトの細かいディテイルに関する該博な知識から、ロケーションの場所へのこだわり。撮影上のさまざまな工夫。宮崎駿は、黒澤に気持ちよく語らせて、彼の映画にかける思い入れを次々と聞き出して行く。

「夢」の水車のある村の撮影では、村の水車はすべてセットで、中に人が入って動かしていたという話。 「まあだだよ」の内田百間の家のセットでは、大量の土を運び込んで坂道を人工的に作った話。確かに家の前の道が微妙に坂道になってるだけで、家全体にとてもセットとは思えないリアリティが出ることが分かる。

「乱」で炎上する天守閣は、本建築で作ったので、撮影が終わっても半日以上燃えくすぶっていたという話。細部にこだわった様々なエピソードには、黒澤の映画製作にかけた思い入れがそのまま伝わってくるようだ。

戦争後の焼け跡を再現したセットでも、単に残骸をバラバラまいただけでは気に入らず、ここにはどんな建物が、どんな間取りで建っていて、どう焼け残ったのかを大道具に考えさせる。ここには水道管があって、この柱が焼け残って、と、その細部を作ってゆくうちに、焼け跡のセットが実に本物に近い存在感を生み出して行く。もちろん、適当に焼けた木材やトタンをばら撒いても、一応の焼け野原はできるのだが、映画のスクリーンで見る観客には、やはりリアリティが違って見える。

「椿三十朗」では、侍役に実際の刀を持たせて衣装を着せて半日放っておいたり、「七人の侍」では、農夫役には事前に衣装を持ちかえらせて、実際に何度も着せ、擦り切れるところを擦り切れさせる。そうすると、衣装部から借りた衣装を来てすっと画面に出たのとは絶対に違うリアリティがあるのだという。

映画というのは、TVのドラマでは考えもつかないほど、豪勢に、そして入念に時間と金をかけて作られた、実にぜいたくな芸術である。もっともすべての映画がそうだというわけではない。衰退した現在の日本映画では考えもつかないことだが、昔はそんな贅沢な時期があったとも言えるし、あるいは黒澤だから許されたとも言える。

実におもしろい本だったが、この本は実際にTVで行った対談を文章に起こしているので、黒澤の人となりも窺えるところがまた興味深い。年老いてある程度は丸くなったとはいえ、撮影の現場では常に「天皇」と呼ばれた男である。やはり好々爺ではない。司会者が宮崎の作品に話を振っても、結局、すぐに話は自分の作品のことに戻って行く。それは違うと思ったら、なんの遠慮もなく、ぴしゃりと否定する。宮崎の質問に気乗りがしないと、回答せずに話題を変えて、どんどん自分がしゃべる。さすがに世界のクロサワなのである。ふむ。

対談後の宮崎駿の感想を読むと、宮崎が非常に気を使って緊張し、畏怖の念さえ抱いて黒澤との対談に臨んだことが分かる。そして、映画の撮影のディテイルに話が及べば及ぶほど、黒澤が喜んでしゃべるのを宮崎は見ぬいていた。細部に神は宿り給う、ってのは何にあった言葉だったか。さすがに世界のクロサワなのである。<何度も同じこと繰り返すなって。

そうそう、本を読んだ後で気づいたのだが、ちょうどタイミング良く、今週、来週とNHKの衛星第2放送で黒澤作品が続々と放映される予定になっている。「姿三四郎」、「生きる」、「羅生門」、「まあだだよ」。せっかくなんで黒澤作品を毎夜堪能したいのだが、そういう時に限って連日飲む予定が入ってたりしてるんだなあ。