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1999/08/15 「三億円事件」 を読む

本日は9時半に起床。ブラブラと駅前まで出て、床屋で散髪してさっぱり。昼飯は、駅前で八宝菜ランチなど食す。ついでに秋葉まで出て、USB接続のZIPドライブを購入。雨が上がっていい天気になったのはいいが、炎天下を歩くと実に暑い。

帰宅して、ちょっと1時間ばかりウトウト。午後から、昨日購入した、「三億円事件」読了。東芝府中工場のボーナス資金を輸送する現金輸送車を襲い、偽の白バイ警官が鮮やかに奪い去った三億円事件は、当時は大変な反響を巻き起こして、昭和史を振り返る本でも、かならずあの有名なモンタージュ写真が出てくるくらいの大事件だった。

当時の大卒初任給は、およそ3万円だったらしい。現在では20万チョイといったところだから、当時の3億円は、現在価値に換算すると、20億円以上になるだろう。確かに、日本犯罪史上に残る強盗事件だった。

しかし、事件後30年と聞くと、さすがにもう過去の話だなあ。


余談だが、昨日のニュースで聞くと、無期懲役となった、旅館立てこもりのライフル魔、金喜老が80歳近くになって仮出所するらしい。いや〜、懐かしい名前だ。金喜老っていっても、この日記読んでる人で知ってるのは、一握りのオヤヂだけだろなあ。ははは。

逮捕された時にはとんでもない奴だと思ったが、後で色々事情を知ると、朝鮮人差別に対する憤激が犯行の動機の大部分を占めていたことが分かる。犯行は犯行として、気の毒な面もある。


さて、話が脱線したが、この「三億円事件」だが、著者が新潮45で連載したルポルタージュを本にしたもの。目新しい事実としては、犯人を知っているという関係者から入手した、500円札のコピーだろうか。

口絵にも載せられているコピーは、焼け残った500円札の一部分だが、<XF228632A>という紙幣番号が読み取れるのだという。これは、三億円事件で強奪された現金のうち、銀行で番号が控えられていた500円札の番号に一致する。

犯人グループが暗号を控えられた500円札だけを焼却した時に、共犯の一人がなんらかの理由で1枚だけ隠し持っていたものが流出したという事らしい。しかし、このコピーそのものは、何度も複写を繰り返したらしく、細部がつぶれていて、本の写真からでは、ほとんど番号が読み取れない。本物の500円札をコピーした上で、手書きでナンバーを改ざんして、何度もコピーを繰り返せば、同じものができるだろう。ちょっと眉唾な証拠だ。

もっとも、本書の圧巻は、著者が行った、犯人と目される人物との直接面談だ。著者は新潮社の取材スタッフと犯人を追及して、現在はロスに在住する元警察官にたどり着き、現地に飛んで本人と複数回のインタビューを行っている。

もしも、著者の記述をそのまま信じるなら、確証は無いにしても、この人物は、事件に相当関与したか、あるいは何事かを知っているのは確実であるかのように思える。

犯行を行ったのは、この元警官と、立川にいた当時の不良グループの複数犯で、米軍人を父に持つ日系ハーフが、強奪した3億円を、米軍経由で米国に持ち込んだのではないかというのが著者の推理だ。

確かに、あれだけ巨額の金が盗まれながら、資金の使途面からの警察の捜査はすべて空振りに終わっている。犯人が米国に逃げて、資金も持ち込んだのなら、それはそれで、一種納得の行く部分はある。

もっとも、犯人と目されたこの元警官は、さまざまな事業に手を出して、一時はビバリーヒルズに豪邸を構え、ベンツやロールスロイスを乗りまわし、ベニスビーチやロッキー山脈に別荘を構えるなど、羽振りがよかったのだが、デリバティブ取引に手を出して大損失を被り、豪邸も別荘も高級車も手放してしまったらしい。

もしも、彼が本当に犯人だったとしたら、日本で盗まれた3億円は、結局、アメリカの金融市場に消えていったということになる。そもそも、盗まれた現金には、現金輸送保険がかけられており、保険を引き受けした日本の損害保険会社は、英国のロイズなどに再保険をかけていたらしいから、盗まれた3億円は、海外から日本に補填されている。そういった面では、最初から最後まで、なかなか国際的な事件だったと言える。ま、この本の推論がその通りだとしての話だが。