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2006/12/02 「心にナイフをしのばせて」

「心にナイフをしのばせて」(奥野修司/文藝春秋)読了。少年による残虐な殺人というと、「酒鬼薔薇」事件がどうしても思い浮かぶが、およそ28年前、神奈川県の15歳の少年が同級生の少年を刺し、首を切断して殺すという事件があった。本書は、この被害者の家族にこの事件がどんな影響を与えたか、彼らの運命がその後どうなったかを取材したルポルタージュ。

突然の殺人によって自慢の息子を殺された夫婦に、その犯罪がどんな影響を与えたか、そして兄を殺された妹にその事件がどんな影を落としたか。著者は当人達に丹念なインタビューを行い、彼らのその後の人生を再構成してゆくのだが、彼らの受けた衝撃と心の傷は、やはり他人には想像を絶するというしかない。

本書の後半で、事件の犯人について提示されるもうひとつのショッキングな事実がある。著者は、犯人側の事件後の足取りを追跡しようとする。犯人の少年は少年法の規定により刑罰は受けておらず、前歴記録も残されていないため、その追跡は困難を極める。しかし著者は、犯人の少年が、その後高等教育を受け、弁護士となり、ある町で法律事務所を経営しているという事実を突き止めるのである。

民事上での賠償金についても当時判決が下りているのだが、結局のところ犯人の父は、払えないからとほとんど支払を実行していない。夫が死に、生活の糧を得るために経営していた喫茶店の経営が破綻して、被害者の母は貧窮にあえいでいる。彼女はこの犯人に手紙を書き、一度でも謝罪する気はないのかと問うのだが、何の回答もない。しかし、話の過程で示談金の話が出た時だけ、この犯人は「金が無いのなら少しぐらいは貸す、契約書を持ってゆくから、印鑑証明と実印を用意しろ」と電話してくるのである。

少年法の立場からすると、少年の犯罪は罰せられず、前科ともされない。本人の前歴も明らかにならないよう、法律的な保護がされている。しかし、少年だからといって何の罰も受けなくて本当によいのか。一般社会に堂々と出てくるのは、本当に人格の矯正がされたからなのか。そもそも更生など本当に可能なのか。

この一例を持って、少年法全体を語ることはもとより妥当ではないが、このケースについては、明らかに犯人はある面でいまだに異常であり、特に人間としての更生には失敗していると言わざるを得ない。

ドキュメンタリーとしての構成として(著者もそれを認めているとおり)、記述が被害者側の主観に寄り過ぎ、客観性にやや難がある印象も否めないが、少年犯罪とその更生について考えさせられた一冊。