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2006/05/24 「ユダの福音書を追え」

「ユダの福音書を追え」(ハーバート・クロスニー/日経ナショナル ジオグラフィック社)読了。「ダ・ヴィンチ・コード」は、映画封切りに伴って人気再燃しているが、イエス・キリストに対する一般の興味が増すと、こんな方面の本も売れるんではなかろうか。この話題はちょっと前に、アメリカのTVでも時折取り上げられていた。

本書は、エジプトで発見された1700年前のコプト語古代写本の修復と解読を描くノンフィクション。数奇な運命を経て研究者に渡ったこの写本は、解読により「ユダの福音書」と呼ばれる未発見の新約外典であったことが明らかとなった。そう著者はレポートする。そしてその外典福音書には、イスカリオテのユダは、キリストを裏切っていなかったと書かれているのだと。ユダはキリストに最も信頼された使徒であり、イエスの計画に則り、イエスの要請を受け、彼の役割を果たしたに過ぎないとこの「福音書」は述べており、この衝撃の内容は、従来のキリスト/ユダ像に大きな見直しを要求するだろうというもの。

写本発見からそれが欧米の研究者に渡るまでの物語は、クムラン修道院跡で発見された死海文書発見の顛末にも似て、ミステリーを読むようでなかなか面白い。ただ、小説的脚色が過ぎるのではと思われるところが、ノンフィクションとしての信頼性を幾分損なっているようにも思える。文字も読めないエジプト商人がなぜその文書に最初から100万ドルという途方もない売値をつけたのか。非居住者が十数年もアメリカの銀行の貸し金庫に文書を保管しておけるものか。専門家が、一目見ただけでこれは本物だとみんな直感しているのは逆にうそ臭い、などなど、読み進むにつれてあれこれ疑問が沸いてくるのだった。「イエスの弟〜ヤコブの骨箱発見をめぐって」(ハーシェル・シャンクス/松柏社)をちょっと思い出した。

でもって、肝心の「ユダの福音書」の内容そのものだが、上記に書かれたような概略と一部の抜粋しか本には掲載されていない。写本の写真すら、部分的に1〜2枚掲載されているだけ。この辺がどうにもまた疑問を感じる隔靴掻痒な本ではあるが、同じ出版社から、「原典 ユダの福音書」が近日発売されるそうである。そうか、そちらも買えということか。一粒で二度おいしい、なかなか上手い商売である。そういえば、Amazonの書評でも、提灯もって宣伝してるようなのが目に付いたが関係者か。しかし、この手の本は好きなので、こちらも買ってしまうかもしれない。はは。

さて、肝心の「ユダは単純な裏切り者ではなかった」という「ユダの福音書」の主張だが、それほど珍奇とも思われない。福音書を読むならば、イエスは自分が死ぬこともユダが裏切ることも事前に明らかに知っていた。だとするなら、ユダも自分の役割を知っており、自らの役割を単に行ったのだと想定するには、ほんのわずかな想像の飛躍しか必要ないであろう。

実際のところ、そう考えた人は多く、ユダに関する同様の説はあちことで散見できる。

「ユダによれば」という小説においても、確かユダの行為について似たような考え方が述べられていた。その昔、神道家、金井南龍による「神々の黙示録」という座談集があったが、この放談の中で、金井南龍は、「ユダは神様シナリオをその通り演じただけ。本当は、イエスと役を交代することもできた高次の存在だったんです」と述べている。マーティン・スコセッシの名作「キリストの最後の誘惑」にも、自らの役割を果たしたユダが、救世主になることを拒否したキリストを詰問する場面が出てくる。「救世主にするために俺はお前を売った。なのになぜお前は逃げたんだ」と。

「ユダの福音書」の真偽について、現時点で結論を下す訳には行かないが、人間のイマジネーションは、結構似たところに収斂する。確かにそんな新約外典があっても不思議ではないなと思ったのも事実であった。