MADE IN JAPAN! 過去ログ

MIJ Archivesへ戻る。
MADE IN JAPAN MAINに戻る

2005/08/14 「あの戦争は何だったのか」

「あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書」(保阪正康/新潮社)読了。夏になるときまって戦争関係の本が書店に並ぶ。この本は塩野七生の目立つ推薦文が帯に書かれ、どこの本屋でも平積みでよく売れているようだ。

旧帝国陸海軍の成立の経緯や組織構造から始まって、日中戦争を経て太平洋戦争へと続く日本の第二次大戦の歴史を総括する本。初めて読む珍しい事実はほとんど書かれてないのだが、全般的に簡潔にまとまっており読みやすい。

日本を開戦へと導いたのは、言われているように旧陸軍ではなく旧海軍だという部分については、そもそも陸軍軍人の感想によっただけであり、あまり納得できない。しかし、統帥権という概念が肥大するもとで軍部が次第に力を持ち、実は勝つアテもなかった戦争に踏み込んでいった経緯は、よくまとまっている。少なくとも学校で習った教科書よりはずっと分かりやすい。

開戦前、陸軍省戦力課が日米の戦力分析を行なうと、1対10と結果が出た。これすらも身びいきが入った数字だったが、更に日本に都合のよい勝手な与件だけを入れて無理やり補正すると、戦力比は1対4にまで縮まった。この報告を受けて、「日本は精神力で勝っているから五分五分で戦える」と東條英機が結論づけた。大和魂を引き合いに出して、何の根拠もなくとんでもない結論を引き出す単細胞には唖然とするが、このへんの経緯は、猪瀬直樹の「昭和16年夏の敗戦」にも描かれた。

軍人、官僚、学者などの若手俊英が集まり、対米開戦前にデータを集めて太平洋戦争の行く末を昭和16年にシミュレーションした。結果はどう考えても日本敗戦。しかし、その報告を受けた東條は、「実際の戦争は、そんな簡単なものではないのであります」と述べてその結果を一蹴したのだった。

真珠湾、ミッドウェイ、ガダルカナル等、太平洋戦争を巡る戦闘史も順序を追って簡潔で分かりやすい。日本の軍部は、いったいどうやってこの戦争を終わらせるか、開戦当初からまったく具体的なイメージを持っていなかったという著者の主張は確かに頷ける。どういう状態にまで達したら、この戦争は「勝った」と言え、終戦交渉に入れるのかについて、山本五十六にしてからが「1年か1年半は暴れてごらんにいれる」といった程度の認識であって、何をいつまでにやらねばならないかの確たる戦略はなかった。これもあれこれの本で語られている事ではあるが、いまさらながら繰り返されると嘆息するしかない。

軍部が政治を牛耳ったのは事実だが、東條英機をヒットラーに比するのは、あまり正確な比喩ではない。彼は軍務に長けた優秀な軍人であり、軍人としての栄達は望んだろうが、帝国を支配する独裁的政治家になりたかった訳ではないだろう。天皇陛下への忠誠では誰にも負けないと自負してもいたが、軍隊の最高指揮官としての展望と戦略には欠け、政治家としても国を率いる器ではなかった。巷では東條英機再評価の機運もあるそうだ。戦争の責任を彼一人に負わせるのは間違いだ。しかし評価されるべき人間でもないだろう。そんな感想を持った。

本日は、戦後60年目の終戦記念日。