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2005/06/15 「伊丹十三の本」

「伊丹十三の本」(新潮社)読了。俳優、エッセイスト、TVプロデューサー、映画監督。幾多の顔を持つ伊丹十三のメモリアルとして、その素顔を特集した本。

幼少時から青年に至るまでの写真。湯河原の別荘とそこに残された様々な愛用品。単行本未収録のエッセイ。伊丹十三をよく知る人へのインタビュー。TVでプロデュースした番組の記録。残された手紙やスケッチなどなど、伊丹十三をかつては確かにとりまいていたあらゆるジャンルのものが収録されている。湯河原の別荘は、映画「お葬式」の舞台でも使われて映画ファンにはおなじみか。もっとも映画作品についてはほとんどこの本では扱われていないのだが。

伊丹十三の幼馴染であり、伊丹の実妹と結婚して義弟でもあったノーベル賞作家、大江健三郎には、明らかに伊丹の自殺を投影したと思われる小説「取り替え子〜チェンジリング」がある。小説の主人公、小説家・古義人は義兄の吾良の自殺について、自分の妻にして吾良の妹(現実世界での伊丹十三の妹にして自分の妻が投影されているのだが)がこのように語るのを聞く。

「一時期、吾良がフロイドやラカンの専門家と知り合って、脇で見ていて不思議なほど素直に影響を受けたことがあったでしょう? (中略)あのような死に方をしたことの原因のすべてを、心理学の逆襲というつもりはないんです。でも吾良の心理状態のヤヤコシイもつれについてだったら、幾分かでも、あの心理学者たちに責任を取ってもらいたいと考えることがあるわ」

伊丹十三の著作をよく知ってる人なら、この心理学者というのは「岸田秀」のことであるとピンとくるだろう。その精神分析理論に伊丹十三が傾倒し、「哺育器の中の大人」という共著まで書いている。

そして、この「伊丹十三の本」では、当の岸田秀が奥さんと一緒にインタビュー受けてるのが興味深い。しかし、語っているのは、「モノンクルの原稿料は高かった」、「伊丹十三は英語がうまかった」、「一緒によく美味しいもの食べたなあ」、「飲んでも乱れなかった」など、あっけらかん、恬淡とした思い出ばかり。まあ、友人が自殺した程度で悩んだり心にひっかかりが生ずるようでは、精神分析学などやってられないのだろう。「我々に責任があるなどと思われては迷惑千万」、「心理学者だからといって、他人の心なんぞ分かってたまるか」、「伊丹十三の自殺など幻想にすぎない」などと夫婦揃って思ってるのかもしれない。

所載の全てが興味深いのだが、写真で掲載されている、「愛するノブコ」という手紙が心を打つ。女優にして妻、宮本信子によって破られ、保存され、伊丹十三の死後に修復されてこの本に写真で掲載された、伊丹十三から妻への手紙。男は常に自分勝手だが、同時に実に哀しい存在である。

「行きつけの店」として、桜新町の寿司屋、「喜与し」が掲載されているのも興味深い。お気に入りの日本酒を一升瓶で預けてあったとか。私も2度ほど伺ったことがあるが、確かによい店。山口瞳が「小笹寿し」常連だった流れでもある。マグロの酸味を残したフレッシュなヅケ。細ネギをペースト状になるまで叩いた薬味を乗せたアジ。アナゴのきじ焼きなど、小笹系必殺技をきっちり収めた写真も美しい。そうか、あの店に伊丹十三が来てたのか。