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2005/02/12 天皇家の命運、そして「アダムの呪い」

今月号の文藝春秋、「平成皇室の命運」特集の「女帝誕生〜皇室典範会議の内幕」という記事を読んでいるうちに、ふと思い出して、以前読んだ「アダムの呪い」(ブライアン・サイクス/ソニー・マガジンズ)を再読。

ブライアン・サイクスは、前作「イヴの七人の娘たち」で、「すべての人類の先祖は遠い昔アフリカに存在した共通のたった1人の母にまでさかのぼることができる」という、いわゆる「ミトコンドリア・イブ」仮説を一般向けに分かりやすく解説してみせた。英在住、オクスフォード大学の人類遺伝学者。

前著で扱ったのは、母親からだけ遺伝形質を受け継ぐ「ミトコンドリアDNA」だったが、今回の本で扱うのは、父親からだけ受け継ぐ「Y染色体」。

Y染色体は、X染色体との組合せで人間の性別を決定する性染色体。人間は両親から受け継いだ染色体のペアが両方ともXであれば女性になり、片方がY染色体であれば男性になる。X染色体は父母どちらからも受け継ぐ可能性はあるが、Y染色体は男性の親からしか受け継がれない。ここまでは誰でも高校の生物で習ったことである。

Y染色体は男性にだけ、しかも父親由来のひとつしかないため、生殖細胞ができる際にも減数分裂と遺伝子組替えが起こらない。突然変異による遺伝子コピーの誤り以外には変化がないため、分析すれば遠い昔の先祖を同定するのに役立つのだという。

この本は、必ずしもY染色体に拠らずに性別を決定する生物があること。性別の存在が種の維持発展に意味を持つことを分かりやすく説明する。そして、そこから更に議論は発展して、すべての生物は遺伝子発展のための「乗り物」であると説き、人類進化に影響を与えたミトコンドリアDNAとY染色体の相克、そして戦いを解説する。

現代の人間のY染色体DNAの調査では、バイキングのイギリス侵略の痕跡や、チンギスハンの世界征服によって広まったチンギス・ハン由来の(と思われる)Y染色体遺伝子の発見までされていると著者は述べる。本書の冒頭、講演を頼まれた製薬会社会長が同じ「サイクス」という姓だったため、頼んでDNA分析をさせてもらったら、明らかにY染色体が同じ祖先由来であったことを述べる部分はなかなか印象的。

そして本書の記述は、Y染色体自然選択の歴史は征服と戦いと血の歴史であり、農耕と文明の始まりによる所有、富、権力の発生とそれを継承する男系相続こそが、自分の複製をより残そうとする特定のY遺伝子の発展に貢献したのではないかという仮説にまで到達する。まあ、これは端的に言えば、「英雄色を好む」という俗諺を遺伝子レベルで説明しようとすることであるかもしれない。もっとも、「人間は遺伝子の乗り物」仮説というのは、行き過ぎるとなんでもかんでも遺伝子の戦略で片付ける竹内久美子を思い出させて一概に信じがたいのだが。

しかし、Y染色体だけを考えるなら、万世一系、男系長子相続の日本天皇には(その伝承が事実であるかどうかは別として)、連綿として昔から同じたったひとり、遥かの昔日本に君臨した「大王」のY遺伝子が受け継がれていることになる。今回の皇室典範の改定案にある「女帝容認」というのは、伝承を信じるならば千何百年続いてきたこのY遺伝子の連鎖を、あっけなく絶ってしまうことでもある。その社会的な当否は置くとして、Y染色体の生き残りだけを考えるならずいぶん大きな改革であるわけだ。

昨今のDNA鑑定技術は実に進んでいる(ま、先日の北朝鮮偽遺骨事件でも証明済みだが)。奈良に残る天皇陵(と伝わる)古墳は宮内庁の管轄下にあり、今のところ発掘は一切認められていない。もしもこの古墳を発掘して埋葬されている古代の天皇のDNAを抽出し、特にY染色体を現在の皇室や日本・韓国の国民と比較できたら歴史的にも実に興味深いだろう。

天智天皇と天武天皇は血が繋がっていないという説。韓国王朝と日本の関係。もっと後代の墓をも調べることができるなら、南北朝時代に皇統は断絶しているという俗説や、はては明治天皇は民間の出であるなどというトンデモ説などにも決着がつくかもしれない。いや、それどころか、実は誰も予想もしなかったパンドラの箱が開く可能性すらある。まあ、それだからこそ、天皇家陵墓にある遺体のDNA鑑定などが認められることは永遠にないだろう。伝説は伝説としてそのままそっとしておいたほうがよい。

そして、Y染色体の生き残り戦略を解説したこの著者は、Y染色体は有用な遺伝子をほとんど含まない進化の「燃え滓」であり、ミトコンドリアDNAと違って男性生殖細胞生産のために絶えず複製が作られているため、遺伝子コピーの誤差、突然変異が多く生じ、どんどん劣化していると主張する。そしていずれ人類は不妊となるのではと。

日本の天皇家は、歴史に記録が残る限りでは(まあ、権力者側の歴史を信ずるならと前提を置いてもよいが)世界でもっとも長くたったひとつの古代の大王に由来する「Y遺伝子」を継承してきた家系である。しかし、もしも現状のままならあと数十年でこの連鎖は絶たれる(もちろん、ずっと昔に連鎖が絶たれていた可能性もあるのだが)。ブライアン・サイクスに、この話を教えてあげてたら、Y遺伝子劣化の証拠として本で取り上げたかもしれない。