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2004/10/04 「『ブレードランナー』論序説」。

「『ブレードランナー』論序説」(加藤 幹郎)読了。

この著者のプロフィールには「映画学者」とある。そんな学問があるとは知らなかったが、京都大学大学院人間環境学研究科助教授の肩書きと共に書いてあるのだから、ま、やはりあるんだろう。

気楽な本かと思って買ったら、論旨が大変に難解で、何が書いてあるか読み取るのに往生した。 「ブレードランナー」という映画が単純に好きだという普通の人には、この「論文(?)」を読んで得られる新たな発見は何もないだろう。ただ難解なレトリックだけに満ちた本。自分がこう考えたという記録であって、あんまり他者が読んで面白いものでもないような。

「フィルム・ノワール」への過剰とも感じる思い入れ。自分の見解に一致しない他者の言説をすべて馬鹿にし否定する、尊大で肥大した自意識。たいへんに頭のよい人なのだろうが、ひとりよがりで偏屈な論の展開に辟易するところも多々あり。人生をだいぶ狭く生きている人のような気がするが、まあ、それは余計なお世話か。

どんなことが書いてあるのか興味があれば、本を買わずともこの人の言説はネットにも掲載されている。例えば、この「書評」。パっと読んで何書いてあるか分かる人は少ないと思うなあ。一番最後のパラグラフの悪口雑言にはあっけにとられるが、これが日本の文系「ガクモン」の相互批判における典型的態度というものなのであろうか。だとしたら学者にならなくてよかった。もっとも、なろうと思ってもきっとなれなかったと思うけど。ははは。



この本のあちこちで著者がこだわっているのは、「ブレードランナー」がいかに「フィルム・ノワール」的であるかということのように思われる。しかし、「フィルム・ノアール」については、この本では自身の明快な定義なし。

ちょっと勉強のために、ネットで検索すると、「虚無的・悲観的・退廃的な指向性を持つ犯罪映画の総称である」などと簡単に総括してあるところもある。しかし、更にあちこち読むと、何やら知らないが、映画にウルサイ連中が集まって、これは「フィルム・ノワールだ」「いや違う」など、侃々諤々に議論されている実にモメやすく深い話題であるらしい。

私にとっては「ブレードランナー」が「フィルム・ノワール」であってもなくても別段何も困らない。しかし、この本を読むに、高邁な理論と絢爛たるレトリックを駆使する「映画学者(?)」達には実に大問題のようである。触らぬ神にたたりなし。ウカツに「ノワール」についての言及はしないほうがよさそうだな。はは。

ま、しかし一点だけ、この本で興味深かったのは、著者が言及しているバージョンが、いわゆるデッカードのモノローグ(ヴォイス・オーヴァー)を採用した公開当初の「プロデューサーズ・カット」版であること。2つの版については、私なりの感想を過去ログにも書いたが、かなりの異同がある。

この著者は、「ディレクターズ・カット」版の編集意図を一蹴し、「価値が無い」と悪し様に語っている。ま、確かに「プロデューサーズ・カット」版にもよいところがあり、もう一度観たいなとは思う。しかしフィリップ・K・ディックの原作を念頭に置くなら(奇妙なことにこの本では原作に対する言及がないのであるが)、デッカードさえもレプリカントであることを示唆して終わる救いようのない暗いラストの「ディレクターズ・カット」のほうが、やはり優れているのではないかというのが、今も変わらぬ私の感想なのであった。DVDでまた見直すかな。