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2003/11/04 「大学病院が患者を死なせる時」

「大学病院が患者を死なせる時」(近藤誠/講談社文庫)読了。「白い巨塔」ブームを当てこんだような宣伝文句が文庫本の帯に。この著者が昔「文芸春秋」に寄稿した、「乳ガンは切らずに治る」という記事はリアルタイムで読んだが、実に衝撃的だった。
「乳房を切り取るハルステッド手術と乳房温存療法の治癒率には実は差がない。外科医が勝手に乳房を切り取る手術をするのは犯罪行為だ」
と述べた論文。ハルステッド手術後の患者写真を見たことがあるだろうか。乳房だけではなく、胸部のリンパ腺と筋肉をすべて取り去る。肩からあばら骨全面が、まるで地獄絵に出てくる餓鬼の胸部のごとくになる実にむごいものだ。治癒率に本当に差がないのなら誰もこんな手術を選ぶものはいないはず。しかし、この論文は当時の医学界全体を敵に回し、著者は大学病院で冷や飯を食わされることになる。

放射線科の医師として末期ガンの患者と多く接した著者はまた、ガンの告知にも積極的。「患者よ、がんと戦うな」の著作でも有名な通り、外科手術を中心としたガン治療は患者に無益な苦痛を与え、逆に患者の寿命を縮めると共に、人生の末期を無駄にベッドにしばりつけ、人生最後のクオリティ・オヴ・ライフを大きく損なっているとの主張でも知られる。

医師と患者との間に深い信頼関係が成立し、患者の納得を得た上で最後の医療を行う時、患者は勇敢に自分の死を見つめ受け入れる。この本に出てくる「松村さん」という乳ガンにかかり亡くなった主婦のエピソードは涙なくしては読めない。もっとも私は医者ではないので、この著者の主張が医学的にどこまで正しいのかを判断することはできない。おそらく専門家の間には反論もあるだろう。しかしそれでもなお、この本で描かれる著者と患者との関係は、医療のひとつの向かうべき方向性を指し示しているように思えるのだ。

私の父方の祖母はガンで亡くなった。私がまだ小さな子供の頃。今にして思うとずいぶんと若くして亡くなったんだな。入院した時にはすでに治癒は不可能とされており、子供に死の場面を見せることを恐れたか、両親は見舞いに連れて行ってくれなかった。当時は「患者へのガン告知などとんでもない」という時代。本人以外の親族は、全員が病名を知っていたのに当人にだけは病名は告げられなかった。

ずっと付き添ってた叔母によると、祖母は、回りの人間に病名を教えてくれと何度も泣いて頼んだのだという。もちろん親族はみなウソをつき告知はされなかった。しかし、最後の昏睡に入る前、祖母は叔母の手を握り、手の平に「ガン」と指で書いたのだと。

この話を聞いたのは祖母がすでに亡くなってからだが、その時感じた衝撃は今でも思い出すことができる。なんとむごい。なんと恐ろしい不条理。私自身が回復不可能な病気になったとしたら、たとえ死期を告げられ、取り乱して余命を短くしたとしてもやはり告知してもらいたい。理性はそう告げている。しかし従容と寿命を受け入れ、静かにこの世を去って行くことが果たしてできるだろうか。それは理性ではなく魂の問題だ。