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2001/07/09 「特撮の神様と呼ばれた男」

円谷英二の伝記、「特撮の神様と呼ばれた男」読了。円谷というと、「ゴジラ」、「ウルトラマン」という怪獣物が思い浮かぶ。カメラマンとして映画界に入り、次第に特殊撮影の世界に惹かれた円谷だが、「ゴジラ」の特撮監督として、その名声を不朽のものにするまでは、映画界では異端者扱いで、その特撮の腕は、もっぱら戦争映画の仕事に使われていたというのが興味深い。

円谷自身は、アメリカ映画、「キングコング」を見て特撮を志したが、実は怪獣ものはあんまり好きではなく、自分の最高傑作は、第3次世界大戦による世界の滅亡を描いた「世界大戦争」であると語っていたらしい。

アメリカの特撮に比べれば、日本映画の特撮は、かける金も人も比較にならない。その分野では勝負をあきらめる。しかし金のかからない他の方法を考えだそう、と言う円谷の特撮哲学は、まさに敗戦の焦土から、欧米に追いつき追い越せで復興をなしとげた、戦後当時の日本人に共通した気概が感じられる。

「ゴジラ」以来、日本の怪獣映画は、次々と外国に輸出された。当時としては貴重な外貨を稼ぐのに大いに貢献し、逆に映画を買いつける外国資本からは、結末やら設定に関しても、あれこれと注文がついていた。

当時の政府が、「日本輸出映画振興協会」を発足して、外貨を稼ぐ怪獣映画の製作を金銭面でも応援していたことなどは、この本で初めて知った。日本映画で世界に通用したのは、昔は「怪獣」今「アニメ」。記念すべき「ゴジラ」第一作は、東宝がTV放映権ごとアメリカの供給会社に売り払ってしまったため、日本人の我々は、TVの再放映でも初代ゴジラを見ることができないのである。

青く着色した寒天をしきつめたプールを大海原に見たて、連合艦隊の模型を置いて隠れたヒモでひっぱったり、怪獣に壊されるビルをウエハースで作ったらネズミに齧られたり。撮影の苦労話も興味深い。

ある映画で、おどろいて跳ねまわる馬の画像が必要となった時、「実際の馬を使いましょう」という助手の提案に、「君はそんなもの撮っておもしろいのかね」と円谷は反論したのだという。実物よりも特撮による映像の実現に賭けた映画人生。

初期の日本映画の特撮は、円谷のユニークな発想と工夫、そして、出来上がりが気に入らないと何日も徹夜してしまう一徹なこだわりによって支えられていた。コンピュータグラフィックスで、ほとんどどんな画像も可能にしてしまう現代のハリウッド映画を見たら、円谷英二はどういう感想を持っただろうか。まあ、案外、CGに夢中になってたかもしれないなあ。