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2000/07/02 「果てしない渇望」〜ボディビルに憑かれた人々

「果てしない渇望」(増田晶文/草思社)読了。この著者は、アナボリック・ステロイドを使って肉体増強を図るボディビルダーを描き、「ナンバー・スポーツノンフィクション賞」を受賞したのだが、この本は、更に、クスリを使わない普通のビルダーや女性ビルダーへの取材も含めて、ボディ・ビルディングの魅力に憑かれた人々の実情を描いたノンフィクション。

ボディビルは、第二次大戦後に、アメリカ生まれの健康増進法として日本に紹介されたが、筋肉隆々、マッチョでムキムキの肉体が、日本ではどこか異形視された。ビルダーはナルシストである、ホモであるといった、根拠の乏しい偏見とネガティヴなイメージもつきまとい、スポーツ界の異端児として扱われてきた印象は否めない。

本家のアメリカでは、プロのボディ・ビルダーも存在し、コンテストの賞金やプロテインなどのサプリメントの広告塔になって生計を立てている。コンテストも色々あり、TVの中継もさかんだ。しかし、他のアメリカン・プロスポーツと違うのは、アメリカのボディビル大会では、薬物使用に関する規制はほとんどないことだ。ステロイド漬けの体でも、凄ければそれでよし。

実際に、ミスターユニバースを連続で獲得して映画界入りした、アーノルド・シュワルツェネッガーも、ビルダーとしての競技生活中は、ステロイドを常用していたことを認めている。ボディ・ビルダーからプロレス入りした、ロード・ウォリアーズやハルク・ホーガンのバルクアップされた肉体も、アナボリック・ステロイド無しではありえなかった産物である。

逆に、日本のボディビル団体は、ドーピングに関しては、非常に厳しい規制をしている。日本のビルダーは、ほとんど薬物を使わないのが通例で、ステロイドで信じられないような筋肉を作り上げた連中がゾロゾロ参加する著名な国際大会では、日本のビルダーは、たいがい予選落ちというのが通例だそうだ。

この本で特に興味深いのは、ドーピング検査でステロイド使用がバレて、国内競技会への出場を禁止されながらも、アメリカでプロのビルダーになることを目指して、いまだにステロイドを服用し続け、自らの理想である巨大な肉体を作り上げようと、生活のほとんどすべてをボディビルに捧げている男の話だ。

脂肪や塩分を徹底的に排除し、プロテインを大量に摂取する厳格な食事規制。筋肉が断裂する寸前まで負荷を与えるトレーニングに余暇のほとんどを費やす生活。外国の文献をあさり、肝臓や内臓への副作用をコントロールしながらアナボリック・ステロイドを計画的に服用する。厳しいトレーニングで、関節や腱はボロボロで、内臓もあちこち痛んでいる。すでに健康のためのスポーツの域は遥かに越えた話である。

そこまでして彼を追いたてるのは、誰よりも強大な肉体と筋肉を持ちたいという、自らの目標とする理想的肉体への飽くなき飢え、巨大な肉体への果てしない渇望である。しかし、そういう飽くなき筋肉への追求に終わりはあるのだろうか。

この本には、最近の遺伝子研研究で、生物のDNAには、「ある一定以上の成長を抑制する遺伝子」の存在が明かになったことが書かれている。この遺伝子の機能を壊した実験動物は、何の運動をしなくても、マウスで通常の3倍、牛で3割増の筋肉が増大する。動物実験の結果を、そのまま人類に当てはめると、白人種で筋肉量が250キロ、単純計算では1トンを担いでスクワットが可能な人間が誕生するのだという。1トンというのは、中型の車一台分だ。

筋肉だけで体重250キロのアメフトのラインマンやプロレスラーや相撲取りが出てきたら、これはほとんど無敵に近いが、遺伝子を操作してまでそういう肉体を作り上げることは、人間の倫理として許されうるだろうか。遺伝子ドーピングの問題である。

生まれながらにして個々の人間の遺伝子には差があって、単純に大きさだけ比べても、アンドレ・ザ・ジャイアントから普通の人まで、人類には、とても同じ生物種とは思えないほどの個体差がある。

生まれつきの個体差は認めるとして、人為的に肉体の成長をコントロールするのは、どこまで許されるかの問題になってくるだろうか。小人症の治療に、ヒト成長ホルモンを使用することは医学的にも認められている。では、もっと大きくなりたい普通の人が、成長ホルモン投与を受けたり、遺伝子操作によって巨大化することも、自由に行ってよいだろうか。なかなか難しい問題だ。

最近の研究では、成長抑制遺伝子のほかにも、直接筋肉の増大を生み出す遺伝子も発見されている。ヒトゲノム計画が、ほぼ人間の遺伝子構造を解読したことが先日アメリカで公表されたが、それぞれの遺伝子が実際にどのような機能を持っているのかの解析は、まだこれからが本番らしい。

遺伝子研究は、人類に対する福音でもあるだろうが、同時に、こういう遺伝子ドーピングなどの、さまざまな倫理的な問題も生み出す可能性を秘めたパンドラの箱である。

もしも、なんらかの遺伝子操作によって、今までよりもっと巨大な筋肉がつくのであれば、今でも健康への悪影響を知りながらアナボリック・ステロイドを服用しているビルダーのほとんどは、躊躇なく採用にふみきるだろう。彼らの巨大な肉体への渇望は、それほどまでにも深い。この本を読んでつくづく感嘆したのは、彼らの、筋肉に取り憑かれたとしかいいようのない無明の情熱である。