MADE IN JAPAN! 過去ログ

MIJ Archivesへ戻る。
MADE IN JAPAN MAINに戻る

2000/02/11 「グリコ・森永事件 最重要参考人M」 

「グリコ・森永事件 最重要参考人M」 (大谷昭宏・宮崎学 /幻冬社) 読了。グリコ・森永事件も、大半の事件はすでに時効が成立し、明かになった一連の犯罪の一番最後、1985年2月12日の青酸入りチョコレートばらまき事件(殺人未遂)も時効を迎える。時効になるのは15年だから、ちょうど明日の夜12時に時効成立ということになるのだろうか。

本のほうは当時、読売新聞社会部で事件を追っていた大谷昭宏が、事件を回想しながら、キツネ目の男そっくりと称され、実際に警察の捜査の対象にもなった宮崎学と対談するというもの。大谷は、「ホントはあんたが犯人じゃないの」と、何度も疑惑をたずねるが、宮崎学のほうは疑われるのには慣れてるのか、手馴れた受け答えで質問をかわしてゆく。

ヤクザの家に生まれ、裏街道でさんざん悪さをしてきた宮崎学は、「突破者」などの著作で有名になったが、確かに「キツネ目の男」そっくりである。企業恐喝や詐欺などの犯罪歴もあり、当時は事件の中心になった京都伏見に会社を持っており、かなり早い時期に走査線上に浮かび、警察の事情聴取を受けている。

脅迫状に使われた便箋が、京都伏見の「園城」という小さな文具店の特製品であり、宮崎の会社がこの文具店と取引があった点などは、大谷が取材して発見した特に強い疑惑である。しかし、警察が結局、宮崎を逮捕もできなかったのは、(この本には具体的に書かれてないが)宮崎には事件の際に確固たるアリバイがあったのだという。

グリコ事件が謎のままに終わったのは、警察の失態もあったが、ひとつには、人質から開放された江崎社長が、警察の取り調べ前に、駆けつけてきた会社大幹部と面談した後、ピタリと口を閉ざしてしまったことがひとつの原因と言われている。この沈黙が、後々、グリコは犯人と裏取引したとささやかれる遠因ともなった。

脅迫は、グリコから波及して、森永製菓、丸大食品、ハウス食品と、次々その環を広げていった。公式にはどの会社も犯人には金を払ってないことになっているが、本当に犯人は目的を遂げていないのだろうか。急速に犯行打ち切り声明が出され、犯人達はその後一切の消息を絶つ。事件の終わりも実に謎めいている。

犯行の舞台をさぐってゆくと、あちこちで被差別部落周辺に突き当たるということもあり、宮崎学は、当時から急速にヤクザのシノギとして台頭してきた、いわゆる「エセ同和」関係者が事件にからんでいるのではないかという推測を話している。

もっとも、宮崎は、所詮は暴力によって好き放題に生きてきたスジがね入りのヤー公であって、本当は事件の真相を知っていてあえてミスリードしている可能性もあるから、こういう論拠を無条件に信じるわけにはゆかない。

この本での、宮崎の警察・権力批判にも、ある種の爽快感があって、アンチ・ヒーローを求めて喝采するむきもあるだろうが、闇の世界のあちこちで犯罪に関与してきたヤーさんにしたり顔で正義を語られるようでは日本もおしまいである。

宮崎は別のインタビューで、「本を書いてちょっとは稼いだが、印税ってのは実にちっぽけなシノギだ。また地上げでもやるか」とうそぶいているのだが、本当にグリコ事件には関わってないんだろうなあ。

グリコ・森永事件は、メディアを巻きこんだ劇場型犯罪のはしりとも言われたが、舞台が関西で、脅迫状もすべて軽妙な関西弁で書かれているなど、関西人にはなんだか懐かしい事件だったなあ。<懐かしいってのはちょっと違う気が。